は勝利よりも精神の安静のほうが大事なのだ。僕は人を憎みたくない。敵をも正当に判断したい。熱情のうちにもなお眼の明晰《めいせき》さをもっていたく、すべてを理解しすべてを愛したいのだ。」

 しかしクリストフは、そういう生から遊離した生にたいする愛は、死にたいする忍従と大差ないもののように思われた。彼は自分のうちに、老エンペドクレスのように、憎悪《ぞうお》と憎悪の兄弟たる愛との賛歌が、土地を耕し種まく生産的な愛が、とどろくのを感じていた。彼はオリヴィエの冷静な宿命観をもち合わしていなかったし、また、少しもおのれを防御しない一民族の持続をオリヴィエほど信じてはいなかったので、国民のあらゆる健全な力の行使を、フランス全体の正しい人々の一斉《いっせい》の奮起を、促したく思っていた。

 ある一個の存在については、それを数か月観察するよりも一瞬間愛することによって、より多くを知り得るものである。クリストフは、ほとんど家から出ないでも、オリヴィエと一週間ばかり親しく暮らすと、一年間もパリーをうろつき回ったり、学術的な政治的な客間に注意深く臨席したりしたあとよりも、フランスについて知るところが多かった
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