ころよりもさらに近づきにくくなっていた。芸術――少なくとも、おのれを尊敬し美を崇拝してる芸術は――やはり同じく閉鎖的だった。それは民衆を軽蔑していた。美よりも行動のほうを多く頭に置いてる作家らの間にも、美的観念よりも道徳的観念のほうを重んじてる作家らの間にも、しばしば一種妙な貴族的精神がみなぎっていた。彼らは内心の炎を他人に伝えることよりも、自分のうちにその純潔を保つことのほうを、より多くつとめてるかのようだった。あたかも、おのれの観念に勝利を得させることよりも、それをただ肯定することばかりを欲してるかのようだった。
けれども多数のうちには、大衆的な芸術に関係してる者もないではなかった。そのもっとも真面目《まじめ》なある者らは、自分の作品のうちに、無政府主義的な破壊的な観念や、遠い未来の真理などを投げ込んでいた。その真理も、一世紀後には、あるいは二、三十年後には、おそらくは有益なものとなるかもしれないが、しかし現在では、人の魂を腐食し焼きつくしてるのみだった。またある者らは、幻をもたないごく寂しい、苦《にが》い作や皮肉な作を書いていた。クリストフはそういう作品を読むと、二、三日は意気
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