らに気づかなかったが、献身の情熱と奮闘の慢《おご》りとが彼女のうちにあった。女の危険な年ごろには、かの熱っぽい春の初めのころには、多くの愛情の力が、あたかも地下に音をたててる隠れた泉のように、一身を満たし浸し包みおぼらして、絶えざる迷執の状態に陥《おとしい》れるものであるが、そのとき愛情はあらゆる形で現われる。そしてただ、自己を与え自己を他人の糧《かて》に供することしか求めない。何かの口実がありさえすれば、その清浄な深い肉欲は、ただちにあらゆる犠牲心へ変化しようとしている。愛情はアントアネットをして友愛の餌食《えじき》たらしめた。
 弟は彼女ほど情熱的ではなかったから、そういう動力をもたなかった。そのうえ、彼のために向こうから身をささげてくれるのであって、彼の方から身をささげてるのではなかった――愛するときにはこの方がずっと気楽であり楽しいものである。けれど彼は、自分のために姉が刻苦してるのを見ると、重苦しい呵責《かしゃく》の念を感ずるのだった。彼はそのことを姉に言った。姉は答えた。
「まあお気の毒ね! 私が生きがいを感じてるのはそのためだということが、あなたにはわからないの。あなたのために苦労してるということがなかったら、私になんで生きてる理由が他《ほか》にありましょうか。」
 彼にはそのことがよくわかっていた。彼がもしアントアネットの地位にあったら、彼もやはりその尊い辛苦をほしがったであろう。しかし、自分が彼女の辛苦の原因であることは!……彼の自尊心と愛情とはそれを苦しんだ。そして、一身に負わせられた責任は、成功の義務は、彼のような弱い者にとってはたまらない重荷であった。姉は彼の学業の成否に自分の生涯《しょうがい》を賭《か》けてるのだった。そういうことを考えるのは、彼には堪えがたかった。そして彼の力を増大させるどころか、時とすると彼を圧倒することもあった。けれどもとにかくそれは、反抗し勉励し生きることを彼に強《し》いた。そういう強制がなかったら、彼はおそらく生きることができなかったかもしれない。敗北――おそらくは自殺――への先天的傾向が彼のうちにはあった。覇気《はき》をいだき幸福であるようにと姉が彼に望まなかったら、彼はその傾向に引きずり込まれたかもしれない。彼は自分の天性が他から逆らわれることを苦しんだ。けれどもそれが結局仕合わせだった。幾多の青年が、官能の錯誤に駆られて、二、三年間の狂愚な行ないのために、全生涯をふたたび回復し得られないほど害して、まったく駄目《だめ》になってしまうあの恐るべき年ごろを、危機の年齢を、彼もまた通っていた。彼がもし自分の考えにふける隙《ひま》があったら、落胆か遊蕩《ゆうとう》かに陥ったかもしれない。彼は自分のうちを内省するたびごとに、病的な夢想に、人生にたいする嫌悪《けんお》、パリーにたいする嫌悪、いっしょに入り交って腐ってゆく無数の人間の、きたない発酵にたいする嫌悪の情に、いつもとらわれるのであった。しかし姉を見ると、その悪夢は消え失《う》せてしまった。そして、彼女は彼を生かさんがためにのみ生きていたから、彼も生きる気になった、心ならずも幸福になりたい気になった……。

 かくて、堅忍と宗教と高尚な願望とでできてる熱い信念の上に、彼らの生活はうち立てられた。二人の子供の全存在は、オリヴィエの成功というただ一つの目的へ向けられた。アントアネットはいかなる仕事をもいかなる屈辱をも甘受した。彼女は方々の家庭教師をした。ほとんど召使同様に取り扱われた。女中みたいに教え子の散歩の供をし、ドイツ語を教えるという名目で、幾時間もいっしょに往来を歩かねばならなかった。そういう精神上の苦痛や肉体上の疲労にも、彼女は弟にたいする愛情によって、また自負心によってまで、一種の享楽を見出すのだった。
 彼女は疲れきってもどって来ながら、オリヴィエの世話をしてやった。オリヴィエは半寄宿生として中学で一日を過ごし、夕方にしか帰って来なかった。彼女は夕食の支度《したく》をした、ガスこんろかアルコールランプかで。オリヴィエはいつも食いたがらなかった。どんな物にも厭気《いやけ》を起こし、なお肉をきらった。無理に食べさせるか、あるいは気に入るちょっとした料理をくふうしなければならなかった。そしてかわいそうにアントアネットは、料理が上手《じょうず》ではなかった。非常に骨折ったあとでも、彼女の料理は食えないと彼から言われるような、悲しい目に出会った。台所のかまどの前の絶望――無器用な若い世帯婦のみが経験する、だれにも知られないところの、生命を毒し時には睡眠をも毒する無言の絶望――それを幾度もくり返したあとにようやく、彼女は少し覚え知ったのだった。
 食事のあとで彼女は、使った少しの皿《さら》を洗ってから――(彼はその仕事を手伝おうとしたが、彼女は承知しなかった)――弟の勉強を母親みたいに監督した。その感じやすい少年の気持を害さないようにいつも注意しながら、学課を暗誦《あんしょう》させ、宿題を読んでやり、調べてやることさえあった。食卓と勉強机とに兼用してるただ一つのテーブルで、二人は晩を過ごした。彼は宿題をし、彼女は縫い物か写し物かをした。彼が寝てしまうと、彼女は彼の服の手入れをしたり、または自分の勉強をした。
 とやかく暮らしてゆくのでさえ非常に困難ではあったが、二人はたがいに心を合わして、貯《たくわ》えることのできる金はまず何よりも、母がポアイエ家から借りてる負債を返すのにあてることとした。それはポアイエ家の人たちがうるさい債権者だからというのではなかった。彼らからは風の便《たよ》りもなかった。彼らはその貸し金をまったく失ったものだと思って、もう念頭においてはいなかった。それだけの金で、不名誉な親戚を厄介《やっかい》払いしたことを、心では喜んでいた。しかし二人の子供の方から言えば、軽蔑《けいべつ》すべきその連中に母親が何かの借りがあることは、自尊心と孝行心との上から苦しかった。二人は不自由を忍び、少しの慰みや服装や食べ物などからわずかなものを節して、借りの二百フランだけになそうとした――それも彼らにとっては大金だった。アントアネットは自分一人だけ不自由を忍ぼうとした。しかし弟は彼女の考えを知ると、ぜひとも同様にせずにはいなかった。彼らは二人ともその仕事に心を尽くして、日に幾スーかを余し得るときはうれしかった。
 倹約を旨としてわずかずつ貯えながら、彼らは三年間に所要の金額に達することができた。非常な喜びだった……。アントアネットはある晩ポアイエ家へ行った。彼女は無愛想に迎えられた。援助を求めに来たと思われたのだった。彼らは機先を制するのが得策だと考えて、少しも便りをしなかったこと、母親の死を知らせもしなかったこと、用のあるときにしか顔を出さないこと、などを冷やかに彼女へ責めた。彼女はそれをさえぎって、迷惑をかけるつもりで来たのではないと言った。借りた金をもって来たまでのことだと言った。そしてテーブルの上に二枚の紙幣を置きながら、返済証を求めた。彼らはすぐに態度を変え、そして受け取りたくないふうを装った。数年たってから、もはや当てにしていない金を返しに来る債務者にたいして、債権者がにわかに感ずるあの愛情を、彼らは彼女にたいして覚えたのだった。弟といっしょにどこに住んでるか、どういうふうに暮らしてるか、などと彼らは尋ねかけてきた。彼女は答えを避け、ふたたび返済証を求め、急いでると言い、冷やかに挨拶《あいさつ》をし、そして立ち去った。ポアイエの人たちは、彼女のそういう恩知らずの態度を憤慨した。
 かくてアントアネットは心にかかってた思いを晴らしたが、やはり同じ倹約の生活をつづけた。それも今では弟のためにだった。ただ彼女は、弟に知られまいといっそう隠しぬいた。自分の身のまわりを節約し、ときには食べ物を節してまで、弟の服装《みなり》や娯楽のためをはかり、その生活を多少なりと楽しく派手やかにしてやり、ときには音楽会や音楽劇に行くこと――それがオリヴィエの最大の喜びだった――を得させようとした。彼は姉を連れずに一人で行くことを好まなかった。しかし彼女は種々な口実を設けて、いっしょに行かないようにし、また彼に心苦しい思いをさせないようにした。たいへん疲れてると言ったり、外に出かけたくないと言った。音楽は退屈だとまで言った。彼はそういう愛情のこもった嘘《うそ》にだまされはしなかった。しかし年少の利己心に打ち負けた。彼は劇場へ行った。が一度そこへはいると自責の念にとらえられた。見物してる間そのことばかり考えていた。彼の喜びは害されるのだった。ある日曜日に、彼は姉に勧められてシャートレー座の音楽会へ出かけたが、三十分ばかりするともどって来た。サン・ミシェル橋まで行くと、もうそれより先へ行く勇気がなくなった、と彼はアントアネットへ言った。アントアネットにとっては、弟が自分のために日曜の娯楽を廃してしまったことは、悲しくもあったがまた非常に心うれしかった。オリヴィエは別に遺憾とはしなかった。家にもどって来て、姉の顔が包みきれぬ喜びに輝くのを見ると、いかにりっぱな音楽を聴《き》くよりもいっそう幸福な気がした。二人はその日曜の午後を、窓のそばに向き合ってすわりながら過ごした。彼は書物を手にし彼女は仕事を手にしていたが、どちらもほとんど縫いも読みもせず、たがいの身に関係のないなんでもないことを話し合った。かつて日曜がこんなに楽しく思われたことはなかった。これから二人いっしょでなければ音楽会へも行かないという気になった。もはや二人は一人一人で幸福を味わうことができなくなった。
 彼女はひそかに倹約しながら、ピアノを一つ借りるだけの金をためて、オリヴィエをびっくりさした。そのピアノは一定の賃貸借の方法で、幾か月かたつとまったく彼らの所有になるはずだった。負担の上にさらにその重い負担を、彼女はあえて担《にな》ったのだった。期限ごとの支払いが夢の中まで気にかかった。必要な金を得るのに彼女は健康をそこなった。しかしそういう熱中は、彼ら二人に非常な幸福をもたらしてくれた。音楽はつらい生活の中における楽園だった。音楽は広大な場所を占めた。彼らは音楽に包まれてその他の世界を忘れた。それには危険が伴わないでもなかった。音楽は近代の大なる害毒物の一つである。暖房のようなまたは頼りない秋のようなその暖かい倦怠《けんたい》は、人の官能をいらだたせ意志を死滅させる。しかしそれは、アントアネットのように喜びのない過度の働きを強《し》いられてる魂にとっては、一つの休息となるのであった。日曜日の音楽会は、たえざる労働の一週間中に輝く唯一の光明だった。この前の音楽会の思い出やつぎの音楽会に行く希望、パリーを忘れ時を忘れて過ごすその二、三時間、それだけで彼らは生きていた。雨の中や雪の中に、あるいは風と寒さとの中に、たがいに身を寄せ合って、もう座席がなくなりはすまいかと恐れながら、外で長く待った後、劇場にはいり込んで狭い薄暗い席につき、群集の中に没してしまった。息をさえぎられ四方から押しつけられて、ときとすると暑さと窮屈さとに気分が悪くなりかかることもあった。――が二人は楽しかった。自分の幸福と相手の幸福とに楽しかった。ベートーヴェンやワグナーなどの偉大な魂から流れ出る、善良と光明と力との波が心の中に注ぎ込むのを感じて楽しかった。愛する同胞《はらから》の顔――あまりに年若くてなめた労苦や心労のために蒼《あお》ざめてるその顔――が輝き出すのを見て楽しかった。アントアネットはぐったりしていて、母親から両腕で胸に抱きしめられてるような心地がしていた。そのやさしい温《あたた》かい巣の中にうずくまっていた。そしてひそかに泣いていた。オリヴィエは彼女の手を握りしめていた。その恐ろしい広間の暗がりの中で、彼らに注意を向けてる者は一人もなかった。が、その暗がりの中で、音楽の母性的な翼の下に逃げ込んでる傷ついた魂は、彼ら二人きりではなかった。
 アントアネットはまた信仰をもっていて、いつもそれか
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