音楽を多く奏した。音楽が心の底まで沁《し》み通っていた。彼は自分が奏してるものを理解しようとは求めないで、受動的にそれを楽しんだ。だれも和声《ハーモニー》を教えてやろうとする者はいなかったし、彼自身も教わろうとは心掛けなかった。あらゆる学問および学問的精神はことごとく、彼の家庭に欠けていて、ことに母方の方に欠けていた。法律の人であり才気の人であり古典文学者であるその人たちは、何かの問題に出会うとまごついてしまった。血縁の一人――遠縁のある従弟《いとこ》――が天文協会にはいったというのを、一大珍事のように語っていた。その従弟は狂人になったとの噂《うわさ》までしていた。強健着実ではあるが長い消化と日々の単調さとで眠らされてる精神の、田舎《いなか》の古い中流階級の人たちは、自分の良識だけを頼りとしている。彼らはいかにも自信の念が強くて、自分の良識で解決できない問題はないと自惚《うぬぼ》れている。そして彼らは、学術の人を一種の芸術家と見なしがちで、ただ、芸術家よりも有用ではあるが高尚ではないと考えている。なぜかと言えば、少なくとも芸術家はなんの役にもたたないからである。そしてその無為な生活には上品さがないでもない。ところが学者は、たいてい手工的労働者で――(それは不名誉なことだ)――せいぜい職工長くらいのもので、芸術家より学問はあるが多少気が変になっている。紙の上ではすぐれてるか知れないが、その数字の工場から外へ出ると、もうまるで木偶《でく》の棒だ。生活と実務との経験ある良識家に導かれなかったら、学者はとてもやってゆけるものではない。
ところがあいにくにも、生活と実務との経験が、これら良識家らが信じたがってるほど堅実なものであるとは、まだ証明されてはいない。それはむしろ、ごくわずかのきわめて容易な場合にのみ限られてる、一種の熟練と言うべきである。迅速《じんそく》勇敢な決意を要する意外な場合にぶつかると、彼らはもうなす術《すべ》を知らない。
銀行家ジャンナンは、そういう種類の人物だった。万事は前もってよくわかっていたし、田舎《いなか》生活の一定の調子で正確にくり返されていたので、彼はその業務において重大な困難にかつて出会わなかった。その職業にたいする特殊の能力なしに、ただ父の業を受け継いだのだった。それ以来万事が好都合にいったので、自分が生来賢明なからだと慢《おご》っていた。正直で勤勉で良識をもってるだけで足りると、いつも好んで言っていた。父親が彼の趣味を念頭におかなかったとおり、彼も息子《むすこ》の趣味なんかは念頭におかずに、その職務を息子に譲ろうと考えていた。そして息子をそういうふうに育てようとはしなかった。子供たちを勝手に生成するままに放任しておいて、ただ彼らが善良でありことに幸福でさえあればいいとしていた。子供たちを鍾愛《しょうあい》していたのである。それで二人の子供は、この上もなく生存競争の準備が欠けていた。まるで温室の花だった。しかし、常にそういう生き方をしてはいけなかったであろうか? その柔弱な田舎において、名望ある富裕な家庭において、土地一流の地位を占めながら友人らに取り巻かれてる、快活で親切懇篤な父親をもっていて、生活はいかにも安易でなごやかだったのである。
アントアネットは十六歳になっていた。オリヴィエは初めての聖体拝受を受けるころになっていた。彼は自分の神秘な夢の羽音のうちに潜み込んでいた。アントアネットは四月の鶯《うぐいす》の声のように青春の心を満たしてゆく陶然たる希望の歓《よろこ》ばしい歌声に耳を傾けていた。自分の身体や魂が花のように咲き出してくるのを、また、きれいだと自分でも知り人からそう言われるのを、しみじみと楽しんだ。父の賛辞や不用意な言葉だけでも、彼女を自惚《うぬぼ》れさせるに十分だった。
父は彼女に見とれていた。彼女の婀娜《あだ》っぽい素振り、鏡の前での懶《ものう》げな横目、罪のない意地悪な悪戯《いたずら》、などを彼は楽しんだ。彼女を膝《ひざ》の上に抱き上げて、その小さな愛情のことや、男をあやなしていることや、結婚のことなどで、彼女をからかった。彼は幾つも結婚の申し込みを受けてると言って、それを列挙してみせた。りっぱな中流人たちで、どれもこれも年老いた醜男《ぶおとこ》ばかりだった。彼女は父の首に両腕をまきつけ、顔を父の頬《ほお》に押し当てて、大笑いをしながら、嫌悪《けんお》の叫び声をたてた。すると彼は、彼女の選に当たる仕合わせな者はどんな男かと尋ねた、七大罪を犯した者のように醜いとジャンナン家の老婢《ろうひ》が言っていたあの検事さんか、あるいはあのでっぷりした公証人かと。それを彼女は黙らせるために、ちょっと平手で打ったり、両手で口をふさいだりした。彼はその手に接吻《せっぷん》して、膝の上で彼女を跳《は》ね躍《おど》らしながら、世に知られてる小唄《こうた》を歌った。
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別嬪《べっぴん》さんよ、何が望みか、
醜男《ぶおとこ》の御亭主《ごていしゅ》さんかえ?
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彼女は放笑《ふきだ》して、彼の頬髯《ほおひげ》を頤《あご》の下で結《ゆわ》えながら、その反覆句で答えた。
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醜男よりもかわいい男を
お上さん、どうぞ願います。
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彼女は自分で相手を選ぶつもりだった。自分はたいへん富裕でありあるいは富裕になるだろうということを、彼女は知っていた――(父は口癖にそれをくり返していた)――彼女は「りっぱな嫁」だった。その地方での豪家で息子《むすこ》のある人たちは、早くも彼女の機嫌《きげん》を取って、ちょっとした阿諛《あゆ》と賢い術策との白糸の網を張りながら、この美しい銀の魚を捕えようとしていた。しかしその魚は彼らにたいして、単なる四月の魚になりやすかった。なぜなら、機敏なアントアネットは彼らの策略をすっかり見抜いていたから。そして彼女はそれを面白がっていた。彼女は捕《とら》れたくはあったが、だれからでも捕れたくはなかった。その小さな頭の中で、結婚の相手をすでにきめていた。
土地の貴族――(一地方にはたいてい貴族の家柄が一つだけあるものである。その地の昔の君主から出た家だと自称している。けれど多くは、十八世紀の監察官やナポレオン時代の軍需商人など、国家の財産を買い取った者の子孫である)――その貴族にボニヴェー家というのがあった。町から二里隔たってるその邸宅には、光ってる石盤屋根の尖塔《せんとう》がそびえ、まわりに大きな森があり、森の中には魚を放った池が散在していた。そのボニヴェー家からジャンナン家へ懇親を求めてきた。息子のボニヴェーはアントアネットへしきりに媚《こ》びてきた。年齢のわりにはかなり丈夫な肥満した美男子で、狩猟と飲食と睡眠とをその神聖な日課としていた。馬にも乗れるし、舞踏《ダンス》も心得ており、態度もかなりりっぱで、他の青年よりさほど劣ってはいなかった。長靴をはき込み馬や二輪馬車を駆って、ときどき自邸から町へ出て来た。用事を口実にして銀行家ジャンナンを訪問した。ときとすると、猟の獲物《えもの》をつめた目籠《めかご》を手みやげにしたり、大きな花束を婦人たちへもってきたりした。その機会に乗じて、令嬢の意を迎えることにつとめた。令嬢といっしょに庭を散歩した。髭《ひげ》をひねりながら、また、覧台《テラース》の舗石に拍車を鳴らしながら、腕のように太いお世辞を言ったり、愉快な冗談口をきいたりした。アントアネットは彼を面白い男だと思った。彼女の驕慢《きょうまん》と愛情とはしみじみとそそられた。彼女は幼い初恋のうれしさに浸り込んだ。オリヴィエはその田舎《いなか》紳士をきらいだった。強くて鈍重で粗暴で、騒々しい笑い方をし、螺盤《まんりき》のようにしめつける手をもち、彼の頬《ほお》をつまみながらいつも見くびりがちに、「坊っちゃん……」などと呼びかけるからであった。ことにきらいだった――なんとなく虫が好かなかった――わけは、他家《よそ》の者であるその男が姉を愛してるからであった……自分の姉を、自分一人のもので他《ほか》のだれのものでもない大事な姉を!……
そのうちに、破綻《はたん》が到来した。数世紀以来同じ一隅《いちぐう》の土地に固着してその汁《しる》を吸いつくした、それらの古い中流家庭の生活には、早晩一破綻の起こるのが常である。それらの家庭は静かな眠りをむさぼっていて、自分が身を置いてる大地とともに永遠なものだとみずから信じている。しかしその足下の大地は死滅して、もはや根がなくなっている。鶴嘴《つるはし》の一撃に会えばすべてが崩壊する。すると人は不運だと言い、不慮の災いだと言う。けれども樹木にも少し抵抗力があったならば、決して不運はないであろう。あるいは少なくとも、数本の枝は吹き折っても幹を揺るがすることのない暴風のように、その困難はただ通り過ぎてしまうであろう。
銀行家ジャンナンは、気が弱く信じやすく多少|驕慢《きょうまん》だった。彼はわざと真実を見ようとせず、「実際」と「外見」とを混合しがちだった。彼は無分別に濫費していたが、それでも財産に大した穴を明けはしなかった。実際のところその濫費は、古来の倹約な習慣のために後悔のあまり和らげられていた――(彼は大束の薪《まき》を費消しながら、一本のマッチをおしんでいた。)彼はまたその事業にもごく慎重ではなかった。友人に金を貸すのをかつて拒んだことがなかった。そして彼の友人となることもさほど困難ではなかった。彼は受取証を書かせるだけの労を取らないのが常だった。貸金の計算なども粗漏をきわめていて、向こうから返して来なければほとんど催促をしなかった。他人がこちらの誠意を信頼してくれてると思うとともに、こちらからも他人の誠意に信頼していた。それにまた、儀式張らない円滑な態度のために小心だと思われていたが、実際はそれ以上に小心だった。厚顔な哀願者を体よく断わることもなし得なかったし、その支払能力を気づかってる様子をも示し得なかった。好意と意気地なさとが強く働いていた。だれの気をも害したくなかったし、また他人から侮辱されるのを恐れていた。それでいつも譲歩した。そしてみずからごまかすために進んで譲歩して、あたかも金を取られるのは仕事をしてもらうことででもあるかのようだった。実際にそう思わないでもなかった。自負心と楽観とのあまり、自分のする事はみなりっぱな事だとたやすく思い込んでいた。
そういうやり方は、ますます債務者らを寄せつけるばかりだった。百姓らはいつでも彼の恩恵にすがれることを知っていたし、また実際恩恵にはずれることがなかったので、皆彼を尊敬していた。しかし世人の感謝は――善良な人々の感謝でさえも――適当な時期に摘み取らなければならない果実のごときものである。木の上にあまり古く放っておくと、やがて黴《かび》が生えてくる。数か月たつと、ジャンナン氏から恩恵をこうむった人々は、その恩恵も当然のことだと考える癖がついてしまった。それのみならず、ジャンナン氏があんなに喜んで自分たちを助ける以上は、そこになんらかの利益があるに違いないと、自然に信じがちであった。もっとも気のきいた者たちは、自分の手で取った兎《うさぎ》か、自家の鶏小屋から集めた卵かを、市《いち》の立つ日に銀行家へ贈って、それで帳消しになったつもりでいた――負債をでなくとも、少なくとも感謝の念だけは。
それまでは、要するにまだわずかな金額のことばかりだったし、ジャンナン氏の相手はかなり正直な人ばかりだったので、大した不都合をきたさなかった。金の損失は――それを彼はだれにも一言も漏らさなかったが――ごく僅少《きんしょう》な額だった。しかしジャンナン氏がある奸策《かんさく》家と接触するようになってからは、様子が違ってきた。この奸策家はある工業上の大事業を企てていて、銀行家ジャンナンの人の善《よ》さとその資力とを聞き伝えたのだった。態度の堂々たる人物で、レジオン・ドヌールの勲章を所有し、友人としては、二、三
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