て、彼女の夫について多少|苛酷《かこく》な言い方をしたことを詫《わ》び、それも実は彼女に同情したからのことであると言い、そして引き出しを開きながら、五十フランの紙幣――施与――を差出した。それを彼女は拒絶した。
 彼女はある官省に職を求めようとした。が彼女の奔走は拙劣だったし連絡が欠けていた。一度奔走するにもある限りの勇気を費やした。そしてはがっかりしてもどって来、数日間身を動かすだけの力もなかった。ふたたび奔走しだすときにはもう時機遅れだった。また教会の人たちからも助力は得られなかった。彼らは彼女を助けることに利益を見出さなかったし、また、明らかに反僧侶《はんそうりょ》主義の主人をもっていた零落してる家族に、同情の念を起こさなかったのである。幾多の努力の後にジャンナン夫人が見出し得たものは、ある修道院におけるピアノ教師の地位――ひどく給料の少ないありがたくもない職業――であった。彼女はなおも少し稼《かせ》ぐために、晩にはある筆耕取次所の仕事をした。そこの人たちはきわめて手きびしかった。彼女の筆跡はまずかったし、またいくら注意しても、うっかり一語落としたり一行飛び越したりして――(それ
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