た。――旅館へ帰ると、子供たちは口惜《くや》し涙にくれた。アントアネットはじだんだふみながら、もうあんな人たちの家へ足を踏み入れるものかと断言した。
 ジャンナン夫人は、植物園の近くに、五階の一部屋を借りた。居室はみな、薄暗い中庭の汚ない壁に向かっていた。茶の間と客間とは――(ジャンナン夫人はぜひとも客間をほしがっていたのである)――人通りの多い街路に面していた。毎日、蒸気馬車が通り過ぎ、また葬式馬車が列をなして、イヴリーの墓地へはいり込んでいった。虱《しらみ》だらけのイタリー人らが、汚ない子供を連れて、ぼんやり腰掛にすわったり、荒々しく言い争ったりしていた。あまり騒々しいので、窓を開《あ》けておくことができなかった。そして夕方、家に帰ってくるときには、忙しげな臭い人波を押し分け、舗石も泥だらけの込み合った街路を横切り、隣家の一階にある厭《いや》なビール飲み場の前を通らなければならなかった。そのビール飲み場の入口には、黄色い髪の毛をし、脂《あぶら》や白粉《おしろい》をぬりたてた、大きなでっぷりした女どもが、卑しい眼つきで通行人をうかがっていた。
 ジャンナン一家のわずかな金はまたたくま
前へ 次へ
全197ページ中75ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング