がった。立ち去る間ぎわにジャンナン夫人は、墓の方へ最後にも一度振り向いた。
「私のおかわいそうな方《かた》!」と彼女は言った。
落ちくる夜の闇《やみ》の中を、彼らは墓地から出た。アントアネットはオリヴィエの凍えた手を執っていた。
彼らは古い家にもどった。彼らがいつも眠り、彼らの生活が過ごされ、先祖の生活が過ごされた、その古巣における最後の夜だった。その壁、その竈《かまど》、その一隅《いちぐう》の土地、それらには一家のあらゆる喜びや悲しみがぴったり結び合わされていて、同じく家族の者であり、生活の一部であり、死によってしか別れることができないかと思われるものだった。
荷造りはでき上がっていた。彼らは翌朝、近所の店の戸が開かれる前に、一番列車に乗ることにしていた、近所の者の好奇心や意地悪い推測を避けるために。――彼らはたがいに身を寄せ合っていたかった。けれどもいつしか各自の室にはいって、そこでぐずついていた。帽子や外套《マント》をぬごうともしないで、じっとたたずみながら、壁や家具やすべてこれから別れようとする物に手を触れ、窓ガラスに額《ひたい》を押しつけ、愛する品々の接触を心に止めて長
前へ
次へ
全197ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング