少しおしゃべりをした。いつも面白い話をもっていた。おかしな訛言《なまり》で話すので、皆それに笑い出し、アントアネットは真似《まね》ようとした。ジャンナン氏はそういう一同を黙ってながめた。だれも彼に注意を向けなかった。彼はちょっと躊躇《ちゅうちょ》し、そこにすわり、一冊の書物を取り上げ、手任せのところを開き、また閉ざし、立ち上がった。どうしてもそこに落ち着けなかったのである。彼は蝋燭《ろうそく》をともし、挨拶《あいさつ》の言葉を皆にかけた。子供たちに近寄って、心をこめて抱擁した。子供たちは心を他処《よそ》にしてそれに応じ、彼の方へ眼をもあげなかった――アントアネットは仕事に気を取られ、オリヴィエは読書に気を取られていた。オリヴィエは耳から手をはずしもしないで、気のない挨拶の言葉をつぶやいたまま、読書をつづけた――書物を読んでるときだったら、家の者がだれか火の中へ落っこっても、彼はびくともしなかったろう。――ジャンナン氏は室から出た。そしてなお隣の室でぐずついていた。ほどなく夫人は、老婢《ろうひ》が帰ったあとなので、自分で箪笥《たんす》に着物をしまいに来た。彼女は彼の姿に気づかないふうをし
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