わらず、不幸な境涯《きょうがい》にもかかわらず、やはり生きていたかった。アントアネットは死にさいして、自分の魂の一部を弟に吹き込んでいったらしかった。彼はそう信じていた。彼女のように信仰はもっていなかったが、彼女が誓ってくれたとおりに、彼女はまったく死滅したのではなくて自分のうちに生きてるのだと、彼は漠然《ばくぜん》と思い込んでいた。ブルターニュで一般に信じられてるところによれば、若い死人は死んだのではなくて、普通の生存期限を果たすまでは、その生きてた場所になお彷徨《ほうこう》してるそうである。――そのとおりにアントアネットも、なおオリヴィエのそばで生長してゆきつつあった。
 彼は彼女の書いたものを見出しては読み返していった。があいにく彼女はほとんどすべてを焼き捨てていた。そのうえ彼女は、自分の内生活をしるしとどめておくような女ではなかった。自分の思想を暴露《ばくろ》することを彼女は恥ずかしがったであろう。ただ彼女がもってたのは、自分以外の者にはだれにもほとんどわからない小さな控え帳――ごく細かな備忘録だけだった。その中にはなんらの注意書きもなしに、ある日付が、日々の生活のある小さな出
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