知らずの愛情を感じた。どんなことがあっても、その瞬間に相手へ苦しみを与えたくなかった。心からでもあるいは心ならずにでもとにかく、親切にしてやらずにはいられなかった。彼は弱かった。したがって彼は、あらゆる悪徳やあらゆる美徳を――すべての他の美徳の条件たる力という一つを除いては――ことごとく許す社交界の人々の気に入るように、初めからできていたのである。
 アントアネットはその若い仲間に交らなかった。その健康と疲労とただなぜとも知れぬ心の屈託とのために、少しものびのびとした気持になれなかった。身と魂とをすりへらす配慮と勤労との長い年月のうちに、弟と彼女との役割が変わってしまっていた。彼女はもう今では、世間から遠ざかり万事から遠ざかり、しかも非常に遠ざかった気がしていた。……もうふたたびそこへもどることはできなかった。それらの談話、騒ぎ、笑い、他愛ない楽しみ、などはすべて彼女を退屈させ、疲らして、気分を害するほどだった。彼女はそういう自分の状態が苦しかった。他の若い娘たちといっしょになり、皆が面白がるものを面白がり、皆が笑うものを笑いたかった……。が彼女にはもうできなかった!……彼女は胸迫る思
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