ら上ってくる太陽――パリーの街路と埃《ほこり》だらけの人家と濃い煤煙《ばいえん》との牢獄《ろうごく》から、彼らと同じように逃げ出してる太陽、それから、乳のような白い息吹《いぶ》きの薄靄《うすもや》に包まれてそよいでる牧場、また、村の小さな鐘楼や、ちらちら見える小川や、地平線の奥に浮かんでる丘陵の青い線など、途中のいろんな細かな事物、あるいはまた、静まり返ってる田舎《いなか》のまん中に汽車が止まるとき、遠くから風に運ばれてくる細いしめやかな御告《アンジェリユス》の鐘の音、線路に臨んだ土手の上で夢みてる、牝牛《めうし》の群れの重々しい姿、――すべてのものにアントアネットとオリヴィエとは注意をひかれ、すべてが目新しかった。彼らは歓喜して大空の水を吸う二本のかわききった樹木に似ていた。
その朝、スイスの税関で汽車から降りた。平野の中の小さな停車場だった。夜眠れなかったので少し気持が悪く、夜明けの湿った冷気に身体が震えた。しかし天気は穏やかで、空は澄み渡り、牧場の風が四方から寄せてきて、口の中に流れ込み、舌の上から喉《のど》の中を通って、小さな流れとなって胸の奥まではいってきた。そして、濃い牛
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