彼は彼女の期待にそむかなかったのだ……。――幾年も、幾年もの後に初めて、彼らは怠惰に身を任せた。午《ひる》ごろまで床にはいっていて、たがいの室の扉《とびら》を開け放しながら、たがいに話し合った。鏡の中でたがいに見合わして、疲れに脹《は》れたうれしい顔をながめた。たがいに微笑《ほほえ》みかわし、接吻《せっぷん》を送り合い、またうとうととし、疲れはてがっかりして、やさしい単語を言いかわすだけの力しかなくて、またいつのまにか眠ってゆくのをたがいにながめ合った。
アントアネットは、なお少しずつ貯蓄をつづけていて、病気の場合の金を少し残しておいた。弟をびっくりさしてやろうと思って黙っていた。そして、入学許可の翌日に、数年間の苦しみの褒美《ほうび》に二人とも、スイスへ一月ばかり行こうと言い出した。今やオリヴィエは、官費で師範学校の三年を過ごし、それから学校を出ると、職を得られることも確かだったから、彼らは愉快をつくして貯蓄を使い果たしても構わなかった。オリヴィエはそれを聞いて喜びの叫び声をたてた。アントアネットは彼よりもなおうれしかった――弟の幸福がうれしかった――あこがれていた田舎《いなか》
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