ては、だれも心にかける者はいなかった。
ドイツに来て新しい地位につくと、どこにいたときよりもなおいっそう、彼女はその愛情の用途を見出さなかった。彼女がフランス語を子供たちに教える役目ではいったグリューネバウム家の人たちは、彼女に少しの同情も示さなかった。彼らは横柄《おうへい》で無遠慮であり、冷淡でぶしつけだった。金はかなりよく出した。がそうすることによって彼らは、金を受け取る者を一種の債務者だと見なして、その者にたいしてはどんなことをしてもいいと思っていた。彼らはアントアネットをやや高等な一種の召使として取り扱い、ほとんどなんらの自由をも許し与えなかった。彼女は自分の室をももたなかった。子供たちの室につづいてる控え室に寝て、間の扉《とびら》は夜通しあけ放されていた。けっして一人きりになることがなかった。ときどき自分自身のうちに逃げ込みたい彼女の欲求――内心の静寂境にたいしてすべての人がもってる神聖な権利、それも尊敬されなかった。彼女の幸福といってはただ、心の中で弟に会って話をすることだった。彼女はわずかな隙《ひま》をも利用しようとした。がその隙まで邪魔された。一言書き始めるや否や、だ
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