。そしてしだいに狎《な》れ狎れしくしだした。彼女は言った。
「あなたは私に悪名を着せるといっておどかしなさいましたね。私はその悪名をあなたに差し上げにまいったのです。受け取ってくださいましょうね。」
 彼女は身を震わし、声高に口をきき、人々の注意をひくつもりでいる様子を示していた。人々は彼らのほうをながめていた。彼女がどんなことにも辟易《へきえき》しないのを彼は感じた。そして声の調子を低めた。彼女は最後にも一度言ってやった。
「あなたは卑劣な人です。」
 そして彼のほうへ背を向けた。
 彼はまいった様子をしたくないので、彼女のあとについてきた。彼女はそれをすぐ後ろに従えながら博物館を出た。待ってる馬車のほうへまっすぐに進んでいって、いきなりその扉《とびら》を開いた。ついてきた男はナタン夫人と顔を合わした。夫人はその男を見てとって、名前を呼びながら挨拶《あいさつ》をした。男は度《ど》を失って逃げ出した。
 アントアネットはナタン夫人へ事情を述べなければならなかった。彼女は心ならずもそしてたいへん控え目に話した。傷つけられた貞節の悩みの秘事に、他人を立ち交らせるのは心苦しかった。ナタン夫人
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