もあった。しかし彼女はそういう考えをしりぞけ、そういう考えを分析しようとしなかった。心ならずも起こってくる考えであって、それを容認してるのではなかった。そして祈祷《きとう》の力で助けられた。ただ、心が祈り得ない時――(そういうこともあった)――心が乾《かわ》ききってしまったようなときは、そうはいかなかった。いらいらして自分を恥じながら、神の恵みがふたたび来るのを黙って待つよりほかはなかった。オリヴィエはかつてそうした苦悩に気づかなかった。そういうときにアントアネットは、いつも何かの口実を設けて、彼のもとから離れるか自分の室に閉じこもるかした。そして危機が過ぎ去ったときにしか出て来なかった。出て来るときには、苦しんだことを悔いてるかのように、にこやかでなやましげで前よりいっそう優しかった。
二人の室は隣り合っていた。たがいの寝台は一つの壁の両側にくっついていた。壁越しに低声で話ができた。眠れないときには、壁をそっとこつこつたたいて言った。
「眠ったの。私は眠れない。」
仕切りの壁は非常に薄かったので、二人は同じ床に清浄な添い寝をしてる友だちに等しかった。しかし両方の室の間の扉《とびら
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