になり息は絶えだえになるのだった。それで彼は好んで、モーツァルトやグルックのうちに逃げ込んだ。そしてそれらはまた、姉の好きな音楽ででもあった。
 ときとすると、彼女も歌うことがあった。しかしそれはごく単純な歌で、古い旋律《メロディー》のものだった。彼女は重く弱い中音の含み声をもっていた。ごく内気だったので、だれの前でも歌えなかった。オリヴィエの前でさえようやくのことだった。喉《のど》がつまりそうになった。彼女がことに好んでいたものに、スコットランドの言葉でベートーヴェンの曲になった、忠実なるジョニー[#「忠実なるジョニー」に傍点]というのがあった。ごく静かで……底には情愛がこもっていた……。ちょうど彼女の性質に似ていた。オリヴィエは彼女がそれを歌うのを聴くと、いつも眼に涙を浮かべた。
 しかし彼女は弟の演奏を聴く方が好きだった。早く食事の後片付けを終わろうと急いでいた。そしてオリヴィエの演奏をよく聴くために、台所の扉《とびら》を開《あ》け放しておいた。彼女は非常に注意していたけれども、彼は我慢しかねて、皿を片付ける音がすると不平を言った。すると彼女は扉を閉《し》めた。後片付けを終わると
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