分を害したかを彼は怪しんだ。彼女に尋ねてまでみた。彼から気を悪くさせられたのでは決してないと、彼女は強く答えた。しかしやはり彼から遠ざかっていた。数日後に、立ち去る由を彼に告げた。暇を取ってしまったので、出て行こうとしてるのであった。冷やかな取り澄ました言葉で、彼から受けた好意の礼を言い、彼の健康と彼の母親の健康とを祈り、そして別れの挨拶《あいさつ》を述べた。彼はその唐突《とうとつ》な出立《しゅったつ》にびっくりして、どう言っていいかもわからなかった。彼女がそんな決心をした動機を知ろうと試みた。彼女は一時のがれの返辞をした。彼は落ち着く先を尋ねた。彼女は答えを避けた。そして、彼の質問をうち切るために、室を出ていった。戸口で彼は手を差し出した。彼女はその手を少し強く握りしめた。しかしその顔は何物も示さなかった。そして最後まで、彼女は堅い冷たい様子を失わなかった。彼女は立ち去った。
彼は少しも訳がわからなかった。
冬が長くつづいた。湿った靄《もや》のかけた泥《どろ》深い冬。日の光を見ない数週間。クリストフは快方に向かっていたが、まだ全快はしなかった。やはり右の胸に痛いところが残ってい
前へ
次へ
全387ページ中365ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング