ニーチェの超人など、偉大な人々の影法師が、彼らの舞台でなんと悲しげな顔をしていたことだろう!……
パリーの著作者らは、新しいことを考えてる様子をするのに、たいへん骨折っていた。が根本は皆保守的であった。大雑誌、大新聞、政府補助の劇場、学芸会などのうちにあって、過去が、「永遠なる昨日」が、これほど一般的に君臨してる文学は、ヨーロッパに他に例がなかった。パリーが文学における関係は、ロンドンが政治におけるのと等しかった。すなわちヨーロッパ精神の調節機であった。フランス翰林院《かんりんいん》は、一つのイギリス上院であった。旧制に成っている幾多の制度は、その古い精神を新しい社会に飽くまで課そうとしていた。革命的な諸分子は、すぐに排斥されるか同化されるかした。そうされるのがまた彼らの本望でもあった。政府は政治上では社会主義的態度を装《よそお》っていたが、芸術上では、官学派の導くままになっていた。人々は諸学芸会にたいして民間の団体としてしか争わなかった。それもへまな争い方だった。なぜなら、団体の一人がある学芸会にはいり得るようになると、すぐにそれへはいり込んで、最もひどく官学風になるからであった。
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