けで十分なのであった。実物はどうでもよかった。保証のしるしがついてるだけでたくさんだった。
 情欲的な不道徳とコルネイユ風の勇侠《ゆうきょう》とが、最も矛盾した方法で一致し得る時に、芸術の極致に達するのであった。かくてこのパリーの観客は、精神の放逸も饒舌《じょうぜつ》な徳操も、すべてにおいて満足させられていた。――それには無理からぬ点もあった。彼らは放逸ではあるがさらにより多く饒舌《じょうぜつ》だった。雄弁に出会うと恍惚《こうこつ》となるのだった。りっぱな演説を聞くためなら鞭《むち》打たれても構わないほどだった。美徳にせよ悪徳にせよ、すてきな勇侠《ゆうきょう》にせよ卑猥《ひわい》な下劣にせよ、調子のよい脚韻と響きのよい言葉とで飾られる時には、彼らはどんな物でも丸飲みにした。あらゆるものが対句《ついく》の材料となった。すべてが文句だった。すべてが遊戯だった。ユーゴーはその霹靂《へきれき》の声を聞かせようとする時、すぐに弱音機を用いて(彼の使徒たるマンデスが言ったように)小さな子供をも驚かすまいとした。(この使徒はそれを賞賛のつもりで言ってるのだった。)――フランス詩人の芸術のうちには、自
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