こ》になりすましていた。)

 しかしパリーの俗語に通ずることよりも、パリーの音楽に通ずることはさらにむずかしかった。クリストフは何事にたいしても示す例の熱情と、フランス芸術を理解し得ないドイツ人の天性とをもって、判断をくだしていた。ただ彼は誠心をもってしていたし、誤ってることをもし指摘さるれば、それを認めるに躊躇《ちゅうちょ》しなかった。それゆえ、自分の判断に縛られてるとは少しもみずから思わなかった。そして自分の意見を一変させるかもしれないような新しい印象をも、うち開いた心で受け入れていた。
 そしてもう今では、彼はフランスの音楽の中に、多くの才能、興味ある素材、律動《リズム》と和声《ハーモニー》との珍しい発見物、光沢《こうたく》のある柔らかい精緻《せいち》な織物の配列、色彩の絢爛《けんらん》、発明力と機智との不断の傾注、などを認めざるを得なかった。クリストフはそれを愉快に感じ、それから得るところがあった。それらの群小音楽家たちは、ドイツの音楽家らよりも、精神の自由をはるかに多く有していた。彼らは敢然と大道から離れて、森の中に飛び込んでいた。道に迷うことを求めていた。しかし迷い得ない
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