。そして父の貪欲《どんよく》を大声に罵倒してはいたけれど、心の中では、それをみずから笑いながら父の方が道理だと認めていた。で要するに、ほんとうに気を入れて自分の金で雑誌を維持していたのは、金が自由になるワルトハウスほとんど一人だけであった。後は詩人だった。アルノー・ホルツやウォルト・ホイットマンなどにならって、「多様韻律体《ポリメートル》」の詩を書いていた。ごく長い句と短い句とが交互になってる詩で、一点符、二点符、三点符、横線符、休止符、大文字、イタリック文字、傍線付の言葉などが、頭韻《とういん》法や反覆法――一語の、一行の、または全句の――などとともに、きわめて重要な役目をさせられていた。またあらゆる国の言語や音が插入《そうにゅう》されていた。彼はセザンヌの手法を詩に用いるのだと言っていた。(その理由はだれにもわからなかった。)そして実を言えば、空粗な事物をことによく感ずるだけの、かなり詩的な魂をそなえていた。感傷的で冷静であり、また幼稚で気取りやであった。その苦心した詩は、豪放な無頓着《むとんじゃく》さを装っていた。彼は上流の人としては、りっぱな詩人であったろう。しかしこの種の人は、雑誌や客間にあまり多くいすぎる。しかも彼は唯一人であることを欲していた。階級通有の偏見を超越してる大人物らしく振舞おうと、心がけていた。そのくせだれよりもいっそう偏見をもっていた。彼はそれをみずから認めてはいなかった。自分の主宰してる雑誌で、周囲にユダヤ人ばかりを寄せ集めて、反ユダヤ党である身内の者らに不平を言わせ、みずからおのれの精神の自由を証明することを、いつも快しとしていた。同人らにたいしては、慇懃《いんぎん》な対等の調子を装っていた。しかし心の底では、平静な限りない軽蔑《けいべつ》を彼らにたいしていだいていた。彼らが彼の名前と金とを利用して喜んでいるのを知らないではなかった。そして彼らのなすままに任して、彼らを軽蔑する楽しみを味わっていた。
 そして彼らの方でもまた、彼が自分たちのなすままに任していることを軽蔑していた。なぜなら彼らは、彼がそのために利を得てることをよく知っていたから。与える者に与えよである。ワルトハウスは彼らに、自分の名前と財産とを貸与していた。彼らは彼に、自分らの才能と実務的精神と読者とを貸与していた。彼らは彼よりもいっそう怜悧《れいり》だった。と言って、彼らがより多く個性をそなえてるというのではなかった。否おそらく個性はより少なかったであろう。しかしながら彼らは、どこへ行ってもまたいつでもそうであるが、この小都市においても――異民族であるがために、数世紀来孤立してきて嘲笑的な観察眼が鋭利にされているので――最も進んだ精神の所有者であり、腐蝕《ふしょく》した制度や老朽した思想の滑稽《こっけい》な点に最も敏感な精神の所有者であった。ただ、彼らの性格は彼らの知力ほど、自由でなかったので、彼らはそれらの制度や思想を冷笑しながらも、それらを改革することよりむしろ、それらを利用することが多かった。彼らはその独立|不羈《ふき》の信条にもかかわらず、紳士アダルベルトとともに、田舎《いなか》の小ハイカラであり、富裕無為な息子《むすこ》さんたちであって、娯楽や気晴らしのつもりで文学をやってるのであった。彼らはみずから尊大なふうをして喜んでいたが、人のよい威張りやにすぎなくて、若干の無害な人々、もしくは自分たちを決して害し得ないと思われる人々、などにたいしてしか尊大ぶりはしなかった。他日自分たちがはいってゆき、昔攻撃したあらゆる偏見と妥協しながら、世間普通の生活を静かに営むようになるだろうとわかってるような社会とは、葛藤《かっとう》を結ぶ気はさらになかった。そして、いよいよ戈《ほこ》を揮《ふる》いもしくは弁を揮わんとし、現在の偶像――それもすでに揺ぎ始めてる――にたいして、騒々しく出征の途にのぼらんとする時には、いつも自分の船を焼かないだけの用心をしていた。危険な場合にはまた船に乗り込むのだった。それにまた、戦いの結果がどうであろうとも――戦いが済みさえすれば、また戦いが始まるまでには十分長い時間があった。敵のフィリスチン人は静かに眠ることができた。新しいダヴィデ派が求めていたところのものは、なろうと思えば恐るべき者にもなり得るのだということを、敵に信ぜさせることであった。――しかし彼らはなろうと思っていなかった。芸術家らと懇意にし、女優らと夜食をともにする方を、彼らはより多く好んでいた。
 クリストフは、その仲間にはいると勝手が悪かった。彼らの話は、女や馬に関することが多かった。しかも厚かましい話し方をしていた。彼らはひどく形式張っていた。アダルベルトは、白々《しらじら》しいゆるやかな声音で、みずから退屈し人を退屈させる上品なていねいさで、意見を述べた。編集長のアドルフ・マイは、重々しくでっぷり太って、頭を両肩の間に埋め、粗暴な様子をしてる男で、いつも自説を通そうとしていた。あらゆることに断定を下し、決して人の答弁に耳を貸さず、相手の意見を軽蔑《けいべつ》してるらしく、なお相手をも軽蔑してるらしかった。美術批評家のゴールデンリンクは、神経的に顔の筋肉を震わす癖があり、大きな眼鏡の陰でたえず眼を瞬《またた》き、交際してる画家たちの真似《まね》をしたのに違いないが、髪を長く伸ばし、黙々として煙草《たばこ》を吹かし、決して終わりまで言ってしまうことのない断片的な文句を口ごもり、親指で空間に曖昧《あいまい》な身振りをするのだった。エーレンフェルトは、小柄で、頭が禿《は》げ、微笑を浮かべ、茶褐《ちゃかっ》色の頤髯《あごひげ》を生《は》やし、元気のない繊細な顔つきをし、鈎《かぎ》鼻であって、流行記事や世間的雑報を雑誌に書いていた。彼は甘ったるい声で、きわめて露骨な事柄をしゃべった。機才はあったが、しかしそれも意地悪い才で、また下等なことが多かった。――これらの富裕な青年らは皆、もとより無政府主義者であった。すべてを所有してる時に社会を否定するのは、最上の贅沢《ぜいたく》である。なぜなら、かくして社会に負うところのものを免れるからである。盗人が通行人を劫掠《きょうりゃく》したあとに、その通行人へこう言うのと同じである、「まだここで何をぐずついてるんだ! 行っちまえ! もう貴様に用はない。」
 同人中でクリストフが好感をもってるのは、マンハイムにたいしてばかりだった。確かにこの男は、五人のうちで最も溌剌《はつらつ》としていた。自分の言うことや他人の言うことを、なんでも面白がっていた。どもり、急《せ》き込み、口ごもり、冷笑し、支離滅裂なことを言いたてて、論理の筋道をたどることもできず、みずから自分の考えを正しく知ることもできなかった。しかし彼は、だれにたいしても悪意をいだかず、また野心の影もない、善良な青年だった。実を言えば、きわめて率直だというのではなく、いつも芝居をやってはいた。しかしそれも無邪気にやってるのであって、だれにも害を及ぼさなかった。奇怪な――たいていは大まかな――あらゆる空想にたいして、彼は怒《おこ》りっぽかった。それをすっかり信ずるには、あまりに精緻《せいち》でまた嘲笑《ちょうしょう》的だった。そして怒った時でさえも、冷静を維持する法をよく知っていた。おのれの主義を適用するのに、かつて危ない破目に陥ることがなかった。しかし彼には看板が一つ必要だった。彼にとってはそれが玩具《がんぐ》であって、幾度も取り変えた。現在では、親切という看板をもっていた。もとより彼は、親切であるだけでは満足しなかった。親切に見せかけたがっていた。親切を説き回り、親切な芝居をしていた。家の者らの冷酷厳格な活動性にたいする、またドイツの厳粛主義や軍国主義や俗物根性などにたいする、反発的精神から、彼はトルストイ主義者となり、涅槃《ねはん》主義者となり、福音《ふくいん》信者となり、仏教信者となり――その他自分でもよくはわからなかったが――喜んであらゆる罪悪を許し、とくに淫逸《いんいつ》な罪悪を許し、それらにたいする愛好の情を少しも隠さず、しかも美徳の方はあまり許容しないような、柔弱な骨抜きの恣《ほしいまま》な恵み深い生きやすい道徳――快楽の契約にすぎず、相互交歓の放肆《ほうし》な連盟にすぎないが、神聖という光輪をまとってみずから喜ぶ道徳、そういう道徳の使徒となっていた。そこに小さな偽善が存していた。その偽善は、鋭敏な嗅覚《きゅうかく》にとってはあまり芳《かんば》しいものではなく、もし真面目《まじめ》に取られたら、実際胸悪いものともなるべきはずであった。しかしそれは真面目に取られることを別に望まないで、みずから一人で興がっていた。そしてこの放縦なキリスト教主義は、何かの機会がありさえすれば、すぐに他の看板に地位を譲ろうと待ち構えていた――どんなんでも構わない、暴力、帝国主義、「笑う獅子《しし》」などでも。――マンハイムは茶番を演じていた、心から茶番を演じていた。他の者らのようにユダヤの好々爺《こうこうや》とならないうちから、民族固有のあらゆる機才をもって、自分のもたない感情をも代わる代わる背負っていた。彼はきわめて面白い男であり、この上もなく小癪《こしゃく》な男であった。

 クリストフはしばらくの間、マンハイムの看板の一つだった。マンハイムは彼のことばかりを口癖にしていた。至る所に彼の名前を吹聴《ふいちょう》して歩いた。家の者らに向かって、盛んに彼をほめたてて聞かした。その言葉に従えば、クリストフは天才であり、非凡な男であって、珍妙な音楽を作り、ことに変梃《へんてこ》な音楽談をなし、機才にあふれており――そのうえ好男子で、きれいな口と素敵な歯とをもっていた。彼はまた、自分はクリストフから感心されてると言い添えた。――ついにある晩、クリストフを家に連れて来て御馳走《ごちそう》してやった。クリストフは、新しい友の父親である銀行家ロタール・マンハイム、およびフランツの妹であるユーディットと、差し向かいになった。
 彼がユダヤ人の家の中にはいり込んだのは、それが初めてだった。ユダヤ人の仲間は、その小都市にかなり多数であり、またその富と団結力と知力とによって、重要な地位を占めてはいたけれど、他の人々と多少離れて生活していた。民衆の中には、ユダヤ人にたいする執拗《しつよう》な偏見と、素朴《そぼく》ではあるがしかし不当な内密の敵意とが、いつも存在していた。クリストフ一家の感情もやはりそうであった。彼の祖父はユダヤ人を好まなかった。しかし運命の皮肉によって、彼の音楽の弟子のうち最良の二人は――(一人は作曲家となり、一人は名高い名手となっていた)――ユダヤ人であった。そしてこの善良な祖父は困却していた。なぜなら、その二人のりっぱな音楽家を抱擁したいと思うことがあった。それから、ユダヤ人らが神を十字架につけたことを悲しげに思い出した。そして彼は、その融和しがたい感情をどうして融和すべきかを知らなかった。が結局、彼は、二人を抱擁した。二人は非常に音楽を愛していたから、神も彼らを許してくださるだろうと、彼はおのずから信じがちだった。――クリストフの父のメルキオルは、自由思想家をもってみずから任じていただけに、ユダヤ人から金を取ることをさほど懸念しなかった。ごく結構なことだとさえ思っていた。しかし彼は、ユダヤ人を罵倒《ばとう》し軽蔑《けいべつ》していた。――クリストフの母は、料理人としてユダヤ人の家に雇われて行くと、悪いことをしたと思わないではなかった。そのうえ、彼女を雇った人々は、彼女にたいしてかなり横柄であった。それでも彼女は、それを彼らに恨まず、だれにも恨まず、神から永劫《えいごう》の罰を受けたそれらの不幸な人々にたいして、憐憫《れんびん》の情でいっぱいになっていた。その家の娘が通るのを見かけたり、あるいは子供らのうれしそうな笑い声を聞いたりすると、深く心を動かした。
「あんなに美しい娘が!……あんなにきれいな子供たちが!……なんという不幸だろう!……」と彼女は考える
前へ 次へ
全53ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング