、シューマンやシューベルトなどと異なったしかもより真実な取り扱い方を、傲慢《ごうまん》にも試みようとしていた。あるいは、ゲーテの詩的な人物、たとえばウィルヘルム・マイステル[#「ウィルヘルム・マイステル」に傍点]中の竪琴《たてごと》手ミニョンなどに、その簡明にして混濁せる個性を与えようとつとめた。あるいは、作者の力弱さと聴衆の無趣味とが暗々裏に一致して、いつも甘っぽい感傷で包み込んでいる、ある種の恋歌にぶつかっていった。そしてその衣を剥ぎ取り、粗野な肉感的な辛辣《しんらつ》さを吹き込んだ。一言にしていえば、熱情や人物を、それ自身のために生きさせようと考え、日曜日ごとに麦酒亭《ビエルガルテン》に集まって安価な感動を求めているドイツ人らの玩具《がんぐ》になるために、それらを生きさせようとはしなかった。
 しかし彼は普通、詩人らをあまりに文学的だと思っていた。そして最も単純な原文、かつて教訓本の中で読んだことのある、古い歌曲《リード》の原文を、古い霊歌の原文を、好んで捜し求めた。けれども彼はその賛美歌的性質を存続させまいと用心した。大胆なほど通俗な生き生きとした方法で取り扱った。その他の彼が取り上げたものは、種々の俚諺《りげん》、時としては、通りがかりに耳にした言葉、市井《しせい》の会話の断片、子供の考え――たいていは拙《つたな》い散文的な文句ではあるが、しかしまったく純な感情がその中に透かし見られるものだった。そういうものになると、彼は楽々とやってのけた。そして自分では気づかないでいる一種の深みに到達していた。
 彼の作品にはよいものも悪いものもあり、たいていはよいものより悪いものの方が多かったが、その全体について言えば、生命があふれていた。それでもすべて新しいものではなかった、新しい所ではなかった。クリストフは誠実のためにかえって平凡になることが多かった。すでに用いられてる形式をくり返すことがよくあった。なぜなら、それは彼の思想を正確に現わしていたし、また彼はそういう感じ方をしていて、異なった感じ方をしていなかったからである。彼は少しも独創的たらんことを求めなかった。独創的たらんと齷齪《あくせく》するのは凡庸《ぼんよう》なるがゆえである、と彼には思えた。彼は自分が実感してることを言おうと努めて、それがすでに前に言われていようといまいと、少しも気にしなかった。しかもそれはかえって独創的たる最上の方法であることを、またジャン・クリストフは過去にも未来にもただ一度しか存在しないということを、彼は傲慢《ごうまん》にも信じていた。青春の素敵な無遠慮さで、まだ何物もできあがったものはないように思っていた。すべてが作り上げるべき――もしくは作り直すべき――もののように思えた。内部充実の感情は、前途に無限の生命を有するという感情は、過多なやや不謹慎な幸福の状態に彼を陥れていた。たえざる喜悦。それは喜びを求める要もなく、また悲しみにも順応することができた。その源は、あらゆる幸福と美徳との母たる力の中にあった。生きること、あまりに生きること!……この力の陶酔を、この生きることの喜悦を、自分のうちに――たとい不幸のどん底にあろうとも――まったく感じない者は、芸術家ではない。それが試金石である。真の偉大さが認められるのは、苦にも楽にも喜悦することのできる力においてである。メンデルスゾーンやブラームスの輩は、小雨や十月の霧などの神たる輩は、かかる崇高な力をかつて知らなかったのである。
 クリストフはその力を所有していた。そして無遠慮な率直さで自分の喜びを見せつけていた。少しも悪意があるのではなかった。他人とそれを共にすることをしか求めていなかった。しかしその喜びをもたない大多数の人々にとっては、それは癪《しゃく》にさわるものであるということを彼は気づかなかった。そのうえ彼は、他人の気に入ろうと入るまいと平気であった。彼はおのれを確信していた。自分の信ずるところを他人に伝うることは、わけもないことのように思われた。彼はいわゆる楽譜製造人ら一般の貧弱さに、自分の豊富さを比較していた。そして自分の優秀なことを認めさせるのは、きわめて容易なことだと考えていた。容易すぎるくらいだった。おのれを示しさえすればよかった。
 彼はおのれを示した。

 人々は待ち受けていた。
 クリストフは自分の感情をもったいぶって隠しはしなかった。事物をあるがまま見ようと欲しないドイツの虚偽を悟って以来、作品や作家にたいするいかなる定評をも顧慮するところなく、あらゆるものにたいして、絶対的な一徹な不断の誠実を事とするのを、一つの掟《おきて》としていた。そして何をするにも極端に奔《はし》らざるを得なかったので、法外なことを言っては、世人を憤慨さした。彼はこの上もなく率直であった。あたかも価値を絶する大発見を一人胸に秘めたく思わない者のように、ドイツの芸術にたいする自分の考えをだれ構わずにもらしては満足していた。そして相手の不満を招いてるとは想像だもしなかった。定評ある作品の愚劣さを認めると、もうそのことでいっぱいになって、出会う人ごとに、専門家と素人《しろうと》とを問わず、だれにでも急いでそれを言って聞かした。顔を輝かしながら最も暴慢な批評を述べたてた。最初人々は本気に受け取らなかった。彼の気まぐれを一笑に付した。しかしやがて、彼が厭《いや》に執拗《しつよう》にあまりしばしばくり返すのを気づいた。彼がそれらの僻論《へきろん》を信じていることは明らかになった。それにたいしては前ほどは笑えなかった。彼は冒涜《ぼうとく》者だった。演奏の最中に騒々しい嘲弄《ちょうろう》を示したり、あるいは光栄ある楽匠らにたいする軽蔑《けいべつ》の念を述べたてた。
 何事もみな小さな町じゅうに伝わった。彼の一言も取り落とされはしなかった。人々はすでに、前年の行ないについて彼を憎んでいた。アーダといっしょなところを公然と見せつけた破廉恥なやり方を忘れていなかった。彼自身はもう覚えてはいなかった。日は日を消してゆき、今の彼は以前の彼とは非常に隔たっていた。しかし他人は彼のためにそれを覚えていた。隣人に関するあらゆる過失、あらゆる欠点、嫌《いや》な醜い不面目なあらゆるできごとを、一つも消え失《う》せないようにと細かく書きたてて、それを社会的職務としている連中が、すべての小都市に存在している。クリストフの新しい矯激な行ないは、昔の行ないと相並んで、彼の名義で帳簿に書きのせられた。両者はたがいに照合し合った。道徳を傷つけられた恨みに、善良な趣味を涜《けが》された恨みが加わった。最も寛大な人々は彼のことをこう言った。
「わざと変わった真似《まね》をしたがってるんだ。」
 しかし大多数の者は断言した。
「まったく狂人だ。」
 なおいっそう危険な風評が――高貴のところから出ただけに効果の多い風評が――広がり始めた。それは次のようなことだった。……クリストフはやはりつづけて公務のために宮廷へ伺候していたが、そこでも例の悪趣味を出して、親しく大公爵に向かって、世に尊敬されてる楽匠らについて顰蹙《ひんしゅく》すべき無作法な言辞を弄《ろう》した。メンデルスゾーンのエリア[#「エリア」に傍点]を、「まやかし坊主《ぼうず》の祈祷《きとう》」と呼び、シューマンのある種の歌曲《リード》を、「小娘の音楽」と見なした――しかもそれは、貴顕の方々がそれらの作品を好んでいると仰《おお》せられた時にである! 大公爵はその無礼な言葉を片付けるために、冷やかに言われた。
「お前の言うことを聞いていると、それでもドイツ人かと疑われることがあるよ。」
 そういう高い所から落ちてきたこの復讐《ふくしゅう》的な言葉は、ごく低い所までころがり落ちずにはいなかった。クリストフが成功を博してるという理由から、あるいはいっそう個人的な理由から、彼にたいして遺恨の種があるように思ってる人々は皆、実際彼は純粋なドイツ人ではないということをもち出さずにはいなかった。父方の家は――人の記憶するとおり――フランドルの出であった。それからというものは、この移住者が国家的光栄を誹謗《ひぼう》するのは別に驚くにも当たらないこととなった。右の事実はすべてを説明するものであった。そしてゲルマン式自尊心は、ますますおのれを尊《とうと》むとともに敵を軽蔑するの理由を、そこに見出したのであった。
 全然精神的なその復讐にたいして、クリストフは自分から、ますますよい材料を提供していった。自分が将《まさ》に批評にのぼせられようとしている時に、他人を批評するくらい無謀なことはない。もっと巧みな芸術家なら、敵にたいしてもっと尊敬を示したであろう。しかしクリストフは、凡庸《ぼんよう》にたいする軽蔑《けいべつ》と自身の力を信ずる幸福とを隠すべき理由を、少しも認めなかった。そしてその幸福の情をあまりに激しく示した。彼は近ごろ、胸中を披瀝《ひれき》したい欲求に駆られていた。自分一人で味わうにはあまりに大きな喜びだった。他人に喜悦を分かたないならば、胸は張り裂けるかもしれなかった。でも友人がないので、心を打ち明ける相手として、管絃楽の同僚で第二楽長をしてるジーグムント・オックスを選んだ。ウルテムベルヒ生まれの青年で、根は善良だが狡猾《こうかつ》で、クリストフにあふれるばかりの敬意を示していた。クリストフはこの男を疑ってはいなかった。もし疑ったにしたところで、自分の喜びを、赤の他人にまた敵にまでも打ち明けるのは不都合だと、どうして考え得たろう? 彼らはむしろそれを彼に感謝すべきではなかったか。彼は味方と言わず敵と言わず、万人に喜びを伝えようとしていた。――彼らに新しい幸福を受け入れさせるのは最も困難であることを、彼は少しも知らなかった。彼らはむしろ古い不幸の方をよしとするだろう。彼らには幾世紀もくり返し噛《か》みしめてきた食物が必要である。しかし彼らにとってことに忍びがたいことは、その幸福を他人のおかげで得られるという考えである。彼らはもはややむを得ない時にしかその侮辱を許さない。そして返報をしてやろうとくふうする。
 それゆえ、クリストフの打ち明け話がだれからもあまり快く迎えられなかったのには、多くの理由が存していた。しかし、ジーグムント・オックスから快く迎えられなかったのには、さらにも一つの理由が存していた。第一楽長のトビアス・プァイフェルは、遠からず隠退することになっていた。そしてクリストフは、年少なのにもかかわらず、その後を襲うべき幸運を有していた。オックスはきわめて善良なドイツ人であるだけに、クリストフが宮廷の信任を得ているからにはその地位に相当してると認めていた。しかし彼は、もし自分の価値が宮廷からもっとよく知られたら自分の方がいっそうよく相当していると、信ずるだけの自惚《うぬぼれ》をもっていた。それでクリストフが毎朝、引きしめようと努めながらもやはり煕々《きき》とした顔つきで劇場へやって来ると、異様な微笑を浮かべてその打ち明け話を迎えるのであった。
「どうです、」と彼は狡猾《こうかつ》そうに言った、「何かまた新しい傑作ができましたか?」
 クリストフは彼の腕をとらえた。
「ああ、君、こんどのは一番すぐれたものだよ……君に聞かしたいな!……いやどうも、あまりりっぱすぎるくらいだ。それを聞く者を、神よ助けたまえ、聞いたあとで心に残るのは、ただもう死にたいという考えばかりだ!」
 それらの言葉を聞いてる者は聾者ではなかった。クリストフはもしその滑稽《こっけい》なことを感じさせられたらまっ先に笑い出したであろうが、そのクリストフを相手にオックスは、微笑《ほほえ》みもせず、子供じみた感激を親しく揶揄《からか》いもせずして、皮肉にも恍惚《こうこつ》たる様子をした。彼はクリストフをおだてて、なお他の法外なことまでも言わした。そしてクリストフと別れると、それをさらにおかしく誇張して、急いで方々に売り歩いた。音楽家の狭い仲間では、それをまた盛んに嘲笑《ちょうしょう》した。そしてだれも皆、その拙劣な作品――
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