。また多くは、一つの声音、街路を通る一人の男、風の音、内心の律動《リズム》、など些細《ささい》なものからにわかに呼び起こされる、仄《ほの》かな明滅する感覚。――それらの計画の多くのものは、ただ題名だけでしか存在していなかった。一つもしくは二つ限りの主調にまとめられるものであったが、それで十分だった。ごく若い人々と同じく彼もまた、創造しようと夢想していたものを創造したのだと信じていた。
しかし彼はかかる煙のごときもので長く満足するには、あまりに多く生活力をそなえていた。彼は空想的な所有に飽きて、幻想を実際につかみ取ろうとした。――まずいずれより始むべきか? いずれの幻想も皆等しく重要なものに思われた。彼はそれらをくり返しまたくり返して調べた。投げ捨ててはまた取り上げた。……否もう、元のを取り上げるのではなかった。もう同じものではなかった。二度ととらえることはできなかった。たえず幻想は変化していた。ながめてるうちにも、手の上で眼の前で、変化した。急がなければならなかった。しかも彼は急いでやることができなかった。自分の仕事の緩慢さに困りぬいた。全部を一日に仕上げたいほどであるのに、わずかな仕事をしでかすのにも非常な困難を感じた。最もいけないことには、着手したばかりでもう厭《いや》になった。幻想は通り過ぎてゆき、彼自身も通り過ぎていった。一つのことをやってると、他のことをやれないのが残念だった。りっぱな主題を一つ選み取っただけで、もうその主題に興味がなくなるように思われた。かくてそのあらゆる財宝も、彼には役にたたなかった。彼の思想は皆、彼が手を触れさえしなければ生き生きとしていた。首尾よくとらえると、もうすでに死んでいた。それはタンタルスの苦痛に似ていた。届く所に果実がなっているけれど、それを手に取ると石になった。唇《くちびる》の近くに清水があるけれど、身をかがめると遠のいてしまった。
彼は渇《かつ》を癒《いや》さんがために、すでに手に入れた泉で、自分の旧作で、喉《のど》をうるおそうとした。……厭な飲料! 彼はそれを一口含むや、ののしりながらすぐに吐き出した。何事ぞ、この生|温《あたた》かい水が、この空粗な音楽が、自分の音楽であったのか?――彼は自分の作曲をひとわたり読み返してみた。そして駭然《がいぜん》とした。さらに腑《ふ》に落ちなかった。どうしてそんなものを書く気になったのかもわからなかった。彼は顔を赤らめた。ある時などは、最も幼稚なページを一つ読んだあとで、室にだれもいないかふり返って見て、それから恥ずかしがってる子供のように、寝台のところへ行って枕《まくら》に顔を隠したこともあった。またある時は、自分の笑うべき作品がいかにも滑稽《こっけい》に思えて、我れながら自分の作であることを忘れた……。
「ああ馬鹿だなあ!」と彼は腹をかかえて笑いながら叫んだ。
しかし最も厭味《いやみ》なのは、恋愛の苦しみや喜びなど、熱烈な感情を表現したつもりでいる曲譜だった。彼は蚊にでもさされたかのように、椅子《いす》の上に飛び上がった。テーブルを拳《こぶし》でうちたたき、憤怒《ふんぬ》の喚《わめ》き声をたてながら、みずから頭をたたいた。荒々しくみずからののしり、豚だの恥知らずだの大馬鹿者だのと自分を呼んで、しばらくはある限りの悪口を自分に浴びせた。しまいには怒鳴り散らしたために真赤《まっか》になって、鏡の前につっ立った。そして頤《あご》をつかみながら言った。
「見ろ、見ろ、間抜《まぬけ》め、なんという馬鹿な顔をしてるんだ! 嘘もいい加減にしろ、無頼漢《ならずもの》め! 水だ、水だ!」
彼は顔を盥《たらい》につき込んで、息がつまるまで水につけておいた。そして顔を充血さし、眼をむき出し、海豹《あざらし》のように息を吐きながら、水から顔を出すと、身体にしたたる水を拭《ぬぐ》いもやらず、急いでテーブルのところに行き、のろわれたる作品を引っつかみ、それを猛然と引き裂きながら、つぶやいた。
「こら、やくざ者め!……こら、こら!……」
そしてようやく胸をなでおろした。
それらの作品がことに彼を激昂《げっこう》さしたゆえんは、その虚偽であることだった。ほんとうに感じたものは何もなかった。暗誦《あんしょう》した句法、小学生徒の修辞法ばかりだった。盲人が色彩のことを語るような調子で、彼は恋愛を語っていた。流行の幼稚な説をくり返しながら、聞きかじりで語っていた。そしてただに恋愛ばかりでなく、あらゆる熱情が、放言の題目に使われていた。――それでも彼は常に真実たらんと努めたのであった。しかし真実たらんと欲するだけでは足りない。真実であり得なければいけない。そして、まだ少しも人生を知らないうちに、いかで真実たることを得よう? それらの作品の虚構を彼に開き示してくれたものは、彼と彼の過去との間ににわかに溝渠《こうきょ》を穿《うが》ったものは、最近半年間の経験であった。彼は幻影から脱出していた。今や彼は、おのれのあらゆる思想の真偽の度を判断するためにあてがい得る、現実の尺度を所有していた。
彼は熱情なしに作られた昔の曲譜に嫌悪《けんお》の情を覚えたので、その結果例の誇張癖から、熱烈な要求に迫られて書かせられるもののほかは、もういっさい書くまいと決心した。そして観念の探求をそこに中止して、もし創作熱が雷電のように落ちかかって来るのでなければ、永久に音楽を捨てようと誓った。
彼がかくみずから誓ったのは、雷鳴が到来しつつあることをよく知っていたからである。
雷は、みずから欲する所にまた欲する時に、落ちる。しかし笛を引きよせる高峰がある。ある場所――ある魂――は、雷鳴の巣である。それは雷鳴を創《つく》り出し、あるいは地平の四方から雷鳴を呼ぶ。そして一年のある月と同じく、生涯《しょうがい》のある年齢は、きわめて多くの電気を飽和しているので、迅雷《じんらい》がそこに生じてくる――随意にでなくとも――少なくとも期待する時に。
全身が緊張する。幾日も幾日もの間、雷鳴が準備される。燃え立った入道雲が、白けた空にかかっている。一陣の風もない。澱《よど》んだ空気が発酵して、沸きたっているように見える。大地は茫然《ぼうぜん》として沈黙している。頭脳は、熱にとどろいている。全自然は、蓄積された力の爆発を待ち、重々しく振り上げられ、黒雲の鉄碪《かなしき》の上に一挙に打ちおろされんとする、鉄槌《てっつい》の打撃を待っている。陰惨な熱い大きな影が通り過ぎる。熱火の風が吹き起こる。全身の神経は、木の葉のようにうち震える。――それから、また沈黙が落ちてくる。空はなお雷電を醸《かも》しつづける。
かかる期待のうちには、一つの歓《よろこ》ばしい苦悶《くもん》がある。不安に押えつけられながらも、人はおのれの血脈中に、宇宙を焼きつくす火が流れるのを感ずる。醸造|樽《だる》中の葡萄《ぶどう》の実のように、飽満せる魂は坩堝《るつぼ》の中で沸きたつ。生と死との無数の萌芽《ほうが》が、魂を悩ます。何が生じて来るであろうか? 魂は姙婦のように、自分のうちに眼を向けて口をつぐみ、胎内の戦《おのの》きに気づかわしげに耳傾ける。そして考える、「私から何が生まれるであろうか?」時には、期待が無駄《むだ》になることもある。雷鳴は破裂せずに消えてしまう。人は頭が重く、張り合いがぬけ、気力疲れ、厭気を催して、我れに返る。しかしそれは時期が延びたばかりである。雷鳴はやがて起こってくる。今日でなければ明日であろう。延びれば延びるほどますます激しくなるだろう……。
それ今起こった! 要は一身のあらゆる深みから湧《わ》き出した。青黒色の濃密な集団となった雲は、狂わんばかりに打ちはためく電に劈《つんざ》かれて、魂の地平を取り囲みながら、息をつめてる空を双《そう》の翼で荒々しく打ちながら、日の光を消しながら、眼|眩《くら》むほどにかつ重々しく翔《かけ》ってくる。狂暴の時間!……猛《たけ》りたった自然原素は、精神の平衡と事物の存在とを確保する「法則」から閉じ込められていたその籠《かご》を脱して、巨大雑多な形を取り、意識界の暗夜を支配する。人は臨終の苦悶を感ずる。もはや生きようとは望まない。ただ望ましいものは、終末のみである、解放の死のみである……。
そしてにわかに、電光がひらめく!
クリストフは喜びの喚《わめ》き声をたてていた。
喜び、激越なる喜び、存在し存在するであろうすべてのものを照らす太陽、創造の崇高なる喜び! 創造することより他《ほか》に喜びはない。創造する人々より他に生きてるものはない。他の者はすべて、生命とは無関係で地上に浮かんでいる影にすぎない。生のあらゆる喜びは、恋愛、才能、行為など、皆創造の喜びである! ただ一つの火炉から立ちのぼる力の火炎である。その大なる竈《かまど》のまわりに席を有しない人々も――野心家、利己主義者、空疎な遊蕩《ゆうとう》児なども――その色|褪《あ》せた反映に身を暖めようとする。
肉体界もしくは精神界において、創造することは、身体の牢獄《ろうごく》から脱することであり、生命の※[#「風にょう+炎」、第4水準2−92−35]風《ひょうふう》中に飛び込むことであり、「存在する者」となることである。創造すること、それは死を殺すことである。
永久に生命の炎が一つも発しないような、おのれの干乾《ひから》びた身体とおのれのうちにある暗夜とを、ただいたずらにうちながめながら、地上に孤独のまま埋もれてる無益なる存在者こそ、実《げ》にも不幸である。花をつけた春の樹木のように、生命と愛との豊饒《ほうじょう》な重みを、少しも感ずることのない魂こそ、実《げ》にも不幸である。世間は名誉と幸福とをその上に積み重ぬるとも、それは死骸《しがい》に冠するものである。
クリストフは一|閃《せん》の光に打たれた時、一つの放電が全身に伝わった。彼はぎくりとして震えた。それはあたかも、海洋の中にあって、暗夜の中にあって、陸地を見出したようなものだった。あるいはまたあたかも、群集の中を通りながら、二つの深い眼にぶつかったようなものだった。そういう現象はしばしば、精神が空虚のうちに身悶《みもだ》えをする悄沈《しょうちん》の時間のあとに起こった。しかしまた、人と話をしあるいは街路を歩きながら、他のことを考えてる瞬間に、なおしばしば起こった。街路にある時には、人前をはばかって、その喜びをあまり激しく現わすことができなかった。しかし家にいる時には、もうなんの拘束もなかった。彼は足を踏み鳴らした。勝鬨《かちどき》の喇叭《らっぱ》を奏した。母はそれに慣れてきて、ついにはその意味を覚《さと》るようになった。卵を産みたての牝鶏《めんどり》のようだと、彼女はよくクリストフに言った。
彼は音楽的観念に浸透されていた。その観念は、独立した完全な楽句の形をなしてることもあったが、多くは、一つの作品全部を包み込む大きな星雲の形をなしていた。その楽曲の結構は、主要の筋道は、彫刻的の明確さで影から浮き出してる眩《まばゆ》いばかりの楽句を、ところどころに鏤《ちりば》めた覆《おお》いを通して、おのずから見えていた。それは一つの閃光《せんこう》にすぎなかった。また時とすると、相次いで多くの閃光が起こることもあって、各閃光は暗夜の各すみずみを照らした。しかし普通は、その気まぐれな力は、いったん不意に現われたあとに、輝いた尾をあとに残しながら、おのれの神秘な隠れ家の中に消え失《う》せて、数日姿を現わさなかった。
そういう霊感《インスピレーション》の悦《よろこ》びは、クリストフに他のすべてをきらわしたほど熾烈《しれつ》なものだった。経験に富んだ芸術家は、霊感はまれなものであることを知っており、直覚の作品を完成するには理知にまつべきものであることを、よく知っている。彼はおのれの観念を搾木《しぼりぎ》にかけ、それに含んでる醇良《じゅんりょう》な汁《しる》を、最後の一滴までも滴《したた》らせる。――(時によっては白水を割ることさえも辞さない。)――しかし
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