。そして怒った時でさえも、冷静を維持する法をよく知っていた。おのれの主義を適用するのに、かつて危ない破目に陥ることがなかった。しかし彼には看板が一つ必要だった。彼にとってはそれが玩具《がんぐ》であって、幾度も取り変えた。現在では、親切という看板をもっていた。もとより彼は、親切であるだけでは満足しなかった。親切に見せかけたがっていた。親切を説き回り、親切な芝居をしていた。家の者らの冷酷厳格な活動性にたいする、またドイツの厳粛主義や軍国主義や俗物根性などにたいする、反発的精神から、彼はトルストイ主義者となり、涅槃《ねはん》主義者となり、福音《ふくいん》信者となり、仏教信者となり――その他自分でもよくはわからなかったが――喜んであらゆる罪悪を許し、とくに淫逸《いんいつ》な罪悪を許し、それらにたいする愛好の情を少しも隠さず、しかも美徳の方はあまり許容しないような、柔弱な骨抜きの恣《ほしいまま》な恵み深い生きやすい道徳――快楽の契約にすぎず、相互交歓の放肆《ほうし》な連盟にすぎないが、神聖という光輪をまとってみずから喜ぶ道徳、そういう道徳の使徒となっていた。そこに小さな偽善が存していた。その偽善
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