[#ここで字下げ終わり]
クリストフは鞄《かばん》の上にすわって泣いた。
駅夫がパリー行きの乗客を呼んでいた。重い列車が轟然《ごうぜん》たる音をたてて到着しかけていた。クリストフは涙をぬぐい、立ち上がってみずから言った。
「やむを得ない。」
彼はパリーの方面の空をながめた。一面に薄暗い空は、その方面ではいっそう暗澹《あんたん》としていた。陰暗な深淵《しんえん》のようであった。クリストフは胸迫る気がした。しかしみずからくり返した。
「止むを得ない。」
彼は汽車に乗った。そして窓からのぞき出しながら、気味悪い地平線をながめつづけた。
「おおパリーよ!」と彼は考えていた。「パリーよ! 僕を助けてくれ。僕を救ってくれ。僕の思想を救ってくれ!」
薄暗い霧は濃くなっていった。クリストフの後方には、去ってゆく故国の上には、両の眼ほどの――ザビーネの両の眼ほどの――薄青い空の片隅《かたすみ》が、重々しい雲の切れ目から、寂しげに微笑《ほほえ》み出して、そのまま消えていった。汽車は出た。雨が降った。夜になった。
底本:「ジャン・クリストフ(二)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和
前へ
次へ
全527ページ中526ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング