た。なんとも言わないで出かけようとした。しかし階段の上まで来るうちに、彼女が独《ひと》りぽっちで一晩じゅう心配するだろうと考えた。彼は忘れ物があるという口実をみずから設けて、また室にもどった。母の室の扉《とびら》が半ば開いていた。彼はその間からのぞき込んだ。そして数秒の間母をながめた……。その数秒が、今後彼の生涯中いかなる場所を占めることになったか!……
ルイザはその時、晩の祈祷《きとう》からもどって来たところだった。窓の隅の例の好きな場所にすわっていた。正面の家の亀裂《きれつ》のあるよごれた白壁が、ながめをさえぎっていた。しかし彼女がすわってる隅からは、右手の方に、隣家の二つの中庭の向こうに、ハンカチほどの芝生《しばふ》の片隅が見られた。窓縁には一|鉢《はち》の朝顔が絲にからんで伸びていて、ぶらさがってる梯子《はしご》の上にその細やかな蔓《つる》を広げていた。一条の光線がそれに当たっていた。ルイザは椅子《いす》に腰掛け、背を丸くして、大きな聖書を膝《ひざ》の上に開きながら、別に読んでもいなかった。両手を――筋が太くふくれて、労働者のように少し曲がってる四角な爪《つめ》のある両手を―
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