たつのみだった。その顎《あご》は開いてはまた閉じた。そしてそこにあったものの痕跡は、もはや少しも残らなかった。
 彼らは敵ではなかった。むしろ敵であればありがたいのだが! 彼らは、愛することも、憎むことも、信ずることも、信じないことも――宗教、芸術、政治、日常生活、すべてにおいて――皆その力がない徒輩であった。彼らの気力はことごとく、和解し得ざるものを和解させんとつとめることに費やされていた。ことにドイツの戦勝以来、新しい力と古い主義との妥協を、嫌悪《けんお》すべき陰謀を、彼らは企図していた。古い理想主義は捨てられていなかった。そこにこそ人々がなし得ないでいる解放の努力が残されていた。彼らはドイツの利益に役だたせんがために理想主義を歪曲《わいきょく》して満足していた。たとえば冷静にして表裏あるヘーゲルを見るがいい。彼はライプチヒとワーテルローとの戦役を待って、おのれの哲学の趣旨とプロシャ国家とを同一たらしめた――利害関係が変わったので主義も変わったのである。人々は敗北したおりには、ドイツは人類を理想とすると言っていた。今や他に打ち克《か》つと、ドイツは人類の理想であると言っていた。他の
前へ 次へ
全527ページ中452ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング