書けるよ。それに、批評家になればあらゆる権利をもつんだ。公衆にたいしては遠慮はいらない。公衆はこの上もなく馬鹿なものだ。芸術家というのもつまらないものだ。人から非難の口笛を吹かれても仕方はない。しかし批評家というものは、『彼奴《あいつ》を罵倒《ばとう》しろ!』と言うだけの権利をもっている。観客は皆思索の困難を批評家に委《ゆだ》ねてるんだ。君の勝手なことを考えればいい。少なくとも何か考えてる様子をすればいい。それらの鵞鳥《がちょう》どもに餌《え》を与えてやりさえすれば、それがどんな餌だろうと構わない。奴《やつ》らはなんでも飲み込んでしまうんだ。」
 クリストフは心から感謝しながら、ついに承諾してしまった。そしてただ、何を言っても構わないということを条件とした。
「もちろんさ、もちろんさ。」とマンハイムは言った。「絶対の自由だ! われわれは各人皆自由なんだ。」

 マンハイムは、その晩芝居がはねた後、三度劇場へやって来て彼を連れ出し、アダルベルト・フォン・ワルトハウスや他の友人らに、彼を紹介した。彼らは彼を懇《ねんご》ろに迎えた。
 土地の古い貴族の家柄であるワルトハウスを除けば、彼らは皆ユダヤ人であって、そして皆すこぶる富裕だった。マンハイムは銀行家の息子《むすこ》、ゴールデンリンクは有名なぶどう園主の息子、マイは冶金《やきん》工場長の息子、エーレンフェルトは大宝石商の息子だった。彼らの父親らは、勤勉|強靭《きょうじん》な古いイスラエル系統に属していて、その民族的精神に執着し、強烈な精力をもって財産を作り、しかもその財産よりその精力の方をより多く享楽していた。ところが息子らは、父親らが建設したものを破壊するために生まれたかの観があった。家伝の偏見と、勤倹貯蓄な蟻《あり》のような性癖とを、嘲笑《ちょうしょう》していた。芸術家を気取っていた。財産を軽蔑《けいべつ》して、それを投げ捨てるようなふうをしていた。しかし実際においては、その手から金が漏れ落ちることはほとんどなかった。彼らはいかに馬鹿な真似《まね》をしようとも、精神の明晰《めいせき》と実際的の能力とをまったく失うほどには決していたらなかった。そのうえ、父親らはそれを監督して、手綱を引きしめていた。中で最も放縦なマンハイムは、もってる物をことごとく本気で濫費したろうけれど、しかし彼はかつて何かをもってることがなかった。そして父の貪欲《どんよく》を大声に罵倒してはいたけれど、心の中では、それをみずから笑いながら父の方が道理だと認めていた。で要するに、ほんとうに気を入れて自分の金で雑誌を維持していたのは、金が自由になるワルトハウスほとんど一人だけであった。後は詩人だった。アルノー・ホルツやウォルト・ホイットマンなどにならって、「多様韻律体《ポリメートル》」の詩を書いていた。ごく長い句と短い句とが交互になってる詩で、一点符、二点符、三点符、横線符、休止符、大文字、イタリック文字、傍線付の言葉などが、頭韻《とういん》法や反覆法――一語の、一行の、または全句の――などとともに、きわめて重要な役目をさせられていた。またあらゆる国の言語や音が插入《そうにゅう》されていた。彼はセザンヌの手法を詩に用いるのだと言っていた。(その理由はだれにもわからなかった。)そして実を言えば、空粗な事物をことによく感ずるだけの、かなり詩的な魂をそなえていた。感傷的で冷静であり、また幼稚で気取りやであった。その苦心した詩は、豪放な無頓着《むとんじゃく》さを装っていた。彼は上流の人としては、りっぱな詩人であったろう。しかしこの種の人は、雑誌や客間にあまり多くいすぎる。しかも彼は唯一人であることを欲していた。階級通有の偏見を超越してる大人物らしく振舞おうと、心がけていた。そのくせだれよりもいっそう偏見をもっていた。彼はそれをみずから認めてはいなかった。自分の主宰してる雑誌で、周囲にユダヤ人ばかりを寄せ集めて、反ユダヤ党である身内の者らに不平を言わせ、みずからおのれの精神の自由を証明することを、いつも快しとしていた。同人らにたいしては、慇懃《いんぎん》な対等の調子を装っていた。しかし心の底では、平静な限りない軽蔑《けいべつ》を彼らにたいしていだいていた。彼らが彼の名前と金とを利用して喜んでいるのを知らないではなかった。そして彼らのなすままに任して、彼らを軽蔑する楽しみを味わっていた。
 そして彼らの方でもまた、彼が自分たちのなすままに任していることを軽蔑していた。なぜなら彼らは、彼がそのために利を得てることをよく知っていたから。与える者に与えよである。ワルトハウスは彼らに、自分の名前と財産とを貸与していた。彼らは彼に、自分らの才能と実務的精神と読者とを貸与していた。彼らは彼よりもいっそう怜悧《れいり》だった。と言って、
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