なお変化し、常に変化したいと思っていた。……生の停滞を望む馬鹿者ども!……彼の幼年時代の作品中に見出せる興味は、その幼稚な未熟さにあるのではなくて、未来のために蓄《たくわ》えられてる力にあるのだった。そしてこの未来を彼らは滅ぼそうと欲してるのだった!……否、彼らは彼がいかなる者であるかをかつて理解しなかった。かつて彼を愛したことはなかった。彼らが愛したのは、彼のうちの卑俗な点、凡庸《ぼんよう》な輩と共通な点ばかりであって、真に彼自身[#「彼自身」に傍点]であるところのものをではなかった。彼らの友誼《ゆうぎ》は一つの誤解にすぎなかった……。
彼はおそらくこの誤解を誇張して考えていた。そういう誤解の例は、新しい作品を愛することはできないが、それが二十年もの歳月を経ると心から愛するような、朴直《ぼくちょく》な人々にしばしばある。彼らの虚弱な頭にとっては、新しい生命はあまりに香気が強すぎる。その香気が時《タイム》の風に吹き消されなければいけない。芸術品は年月の垢《あか》に埋もれてから初めて、彼らにわかるようになる。
しかしクリストフは、自分が現在[#「現在」に傍点]である時には人に理解されず、過去[#「過去」に傍点]である時になって人に理解されるということを、是認することができなかった。それよりはむしろ、まったく、いかなる場合にも、決して人に理解されないと、そう思いたかった。そして彼は憤激した。滑稽《こっけい》にも、自分を理解させようとし、説明し、議論した。もとよりなんの役にもたたなかった。それには時代の趣味を改造しなければならなかったろう。しかし彼は少しも狐疑《こぎ》しなかった。否応なしにドイツの趣味を清掃しようと決心していた。しかし彼には不可能のことだった。辛《かろ》うじて言葉を捜し出し、大音楽家らについて、または当の相手について、自分の意見を極端な乱暴さで表白する会話などでは、だれをも説服することはできなかった。ますます敵を作り得るばかりだった。彼がなさなければならないことは、ゆっくりと自分の思想を養って、それから公衆をしてそれに耳を傾けさせることであったろう……。
そしてちょうど、よいおりに、運――悪運――が向いて来て、その方策を彼にもたらしてくれた。
クリストフは管絃楽の楽員らの間に交わり、劇場の料理店の食卓につき、皆の気色を害するのも構わずに、芸術上の意見を述べたてていた。彼らは皆意見を同じゅうしてはいなかったが、彼の恣《ほしいまま》な言葉には皆不快を感じていた。ヴィオラのクラウゼ老人は、いい人物でりっぱな音楽家であって、心からクリストフを愛していたので、話題を転じたいと思った。しきりに咳《せき》をしたり、または、機会をうかがっては駄洒落《だじゃれ》を言ったりした。しかしクリストフはそれを耳に入れなかった。彼はますますしゃべりつづけた。クラウゼは困却して考えた。
「どうしてあんなことを言ってしまいたいのか? とんだことだ! だれでもあんなことは考えるかもしれないが、しかし口に出して言うものではない!」
きわめて妙なことではあるが、彼もまた「あんなこと」を考えていた、少なくともちょっと思いついていた。そしてクリストフの言葉は、多くの疑念を彼のうちに喚《よ》び起こした。しかし彼は、そうとみずから認めるだけの勇気がなかった――半ばは、危険な破目に陥りはすまいかという懸念から、半ばは、謙譲のために、自信に乏しいために。
ホルンのワイグルは、ほんとに何も知りたがらない男だった。だれをも、何物をも、よかろうと悪かろうと、星であろうとガス燈であろうと、ただ賛美したがっていた。すべてが同じ平面の上にあった。彼の賛美には、物によっての多少の別がなかった。彼はただ、賛美し、賛美し、賛美しぬいた。彼にとってそれは、生きるに必要な欲求だった。その欲求を制限されると、苦しみを感ずるのだった。
チェロのクーは、さらにひどく悩まされた。彼はまったく心から悪い音楽を好んでいた。クリストフが嘲笑《ちょうしょう》痛罵《つうば》を浴びせていたものはことごとく、彼にとってはこの上もなく貴重なものだった。彼がことに好んでいたのは、自然に、最も因襲的な作品であった。彼の魂は、涙っぽい浮華な情緒の溜《た》まりであった。確かに彼は、似而非《えせ》大家にたいする感激崇拝において、虚偽を装《よそお》ってるのではなかった。彼がみずからおのれを欺く――それも全然無邪気に――のは、真の大家を賛美してるのだとみずから思い込んでる点にあった。過去の天才らの息吹《いぶ》きを、自分の神のうちに見出せると信じている「ブラームス派」の人々がいる。彼らはブラームスのうちにベートーヴェンを愛している。ところがクーはさらにはなはだしかった。彼はベートーヴェンのうちにブラームスを愛し
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