まやかし坊主《ぼうず》の祈祷《きとう》」と呼び、シューマンのある種の歌曲《リード》を、「小娘の音楽」と見なした――しかもそれは、貴顕の方々がそれらの作品を好んでいると仰《おお》せられた時にである! 大公爵はその無礼な言葉を片付けるために、冷やかに言われた。
「お前の言うことを聞いていると、それでもドイツ人かと疑われることがあるよ。」
 そういう高い所から落ちてきたこの復讐《ふくしゅう》的な言葉は、ごく低い所までころがり落ちずにはいなかった。クリストフが成功を博してるという理由から、あるいはいっそう個人的な理由から、彼にたいして遺恨の種があるように思ってる人々は皆、実際彼は純粋なドイツ人ではないということをもち出さずにはいなかった。父方の家は――人の記憶するとおり――フランドルの出であった。それからというものは、この移住者が国家的光栄を誹謗《ひぼう》するのは別に驚くにも当たらないこととなった。右の事実はすべてを説明するものであった。そしてゲルマン式自尊心は、ますますおのれを尊《とうと》むとともに敵を軽蔑するの理由を、そこに見出したのであった。
 全然精神的なその復讐にたいして、クリストフは自分から、ますますよい材料を提供していった。自分が将《まさ》に批評にのぼせられようとしている時に、他人を批評するくらい無謀なことはない。もっと巧みな芸術家なら、敵にたいしてもっと尊敬を示したであろう。しかしクリストフは、凡庸《ぼんよう》にたいする軽蔑《けいべつ》と自身の力を信ずる幸福とを隠すべき理由を、少しも認めなかった。そしてその幸福の情をあまりに激しく示した。彼は近ごろ、胸中を披瀝《ひれき》したい欲求に駆られていた。自分一人で味わうにはあまりに大きな喜びだった。他人に喜悦を分かたないならば、胸は張り裂けるかもしれなかった。でも友人がないので、心を打ち明ける相手として、管絃楽の同僚で第二楽長をしてるジーグムント・オックスを選んだ。ウルテムベルヒ生まれの青年で、根は善良だが狡猾《こうかつ》で、クリストフにあふれるばかりの敬意を示していた。クリストフはこの男を疑ってはいなかった。もし疑ったにしたところで、自分の喜びを、赤の他人にまた敵にまでも打ち明けるのは不都合だと、どうして考え得たろう? 彼らはむしろそれを彼に感謝すべきではなかったか。彼は味方と言わず敵と言わず、万人に喜びを伝えようとしていた。――彼らに新しい幸福を受け入れさせるのは最も困難であることを、彼は少しも知らなかった。彼らはむしろ古い不幸の方をよしとするだろう。彼らには幾世紀もくり返し噛《か》みしめてきた食物が必要である。しかし彼らにとってことに忍びがたいことは、その幸福を他人のおかげで得られるという考えである。彼らはもはややむを得ない時にしかその侮辱を許さない。そして返報をしてやろうとくふうする。
 それゆえ、クリストフの打ち明け話がだれからもあまり快く迎えられなかったのには、多くの理由が存していた。しかし、ジーグムント・オックスから快く迎えられなかったのには、さらにも一つの理由が存していた。第一楽長のトビアス・プァイフェルは、遠からず隠退することになっていた。そしてクリストフは、年少なのにもかかわらず、その後を襲うべき幸運を有していた。オックスはきわめて善良なドイツ人であるだけに、クリストフが宮廷の信任を得ているからにはその地位に相当してると認めていた。しかし彼は、もし自分の価値が宮廷からもっとよく知られたら自分の方がいっそうよく相当していると、信ずるだけの自惚《うぬぼれ》をもっていた。それでクリストフが毎朝、引きしめようと努めながらもやはり煕々《きき》とした顔つきで劇場へやって来ると、異様な微笑を浮かべてその打ち明け話を迎えるのであった。
「どうです、」と彼は狡猾《こうかつ》そうに言った、「何かまた新しい傑作ができましたか?」
 クリストフは彼の腕をとらえた。
「ああ、君、こんどのは一番すぐれたものだよ……君に聞かしたいな!……いやどうも、あまりりっぱすぎるくらいだ。それを聞く者を、神よ助けたまえ、聞いたあとで心に残るのは、ただもう死にたいという考えばかりだ!」
 それらの言葉を聞いてる者は聾者ではなかった。クリストフはもしその滑稽《こっけい》なことを感じさせられたらまっ先に笑い出したであろうが、そのクリストフを相手にオックスは、微笑《ほほえ》みもせず、子供じみた感激を親しく揶揄《からか》いもせずして、皮肉にも恍惚《こうこつ》たる様子をした。彼はクリストフをおだてて、なお他の法外なことまでも言わした。そしてクリストフと別れると、それをさらにおかしく誇張して、急いで方々に売り歩いた。音楽家の狭い仲間では、それをまた盛んに嘲笑《ちょうしょう》した。そしてだれも皆、その拙劣な作品――
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