れば、シュルツは気管支炎が再発して、それが肺炎に変化したのであった。彼はたえずクリストフのことを口にしながら、クリストフに知らして心配をかけてはいけないと禁じた。極端に衰弱しておりまた多年病気がちではあったが、それでも長い苦しい臨終であった。彼はクリストフへ死去の報知をしてくれとクンツへ頼み、最期まで彼のことを考えていたこと、彼に負うあらゆる幸福を感謝していたこと、彼が生きてる間は草葉の陰から祝福していること、などを彼に告げてくれと頼んでいた。――ただクンツが言い得なかったことは、クリストフとともに過ごした一日が、おそらく病気再発の原因であり死去の起因であるという一事だった。
 クリストフは黙然として涙を流した。その時になって彼は初めて、亡《な》くした友のあらゆる価値を感じ、どんなに彼を愛してたかを感じた。そのことをよく言ってやらなかったのを、いつものとおり苦しんだ。今はもう間に合わなかった。そして彼の手には何が残されたか? 善良なシュルツは、その死後空虚をさらにむなしく思わせるために、ちょうど現われてきたのにすぎなかった。――クンツとポットペチミットとの方は、シュルツにたいする彼らの友情と彼らにたいするシュルツの友情以外には、なんらの価をももってはいなかった。クリストフは彼らに一度手紙を書いた。そして関係はそれだけのものだった。――彼はまたモデスタへ手紙を書いてみた。しかし彼女は平凡な手紙を書いてもらってよこした。その中にはつまらない事柄しか述べられていなかった。彼は文通をつづけることをあきらめた。彼はもう手紙を出さなかった。だれからももう手紙が来なかった。
 沈黙、沈黙。沈黙の重いマントが日に日にクリストフの上にかぶさってきた。それは灰の雨が降りかかってくるのに似ていた。もう晩年になったように思われた。しかもクリストフはようやく生き始めたばかりだった。彼は今からもうあきらめようとは欲しなかった。眠るべき時にはなっていなかった。生きなければならなかった……。
 そして彼はもはやドイツで生活することができなかった。小さな町の偏狭さに圧迫されてる彼の才能の苦しみは、彼を絶望さして不正にまで陥らした。彼の神経はむき出しになっていた。すべてが血を迸《ほとばし》らせるほどに彼を傷つけた。彼はあたかも、公園の穴や檻《おり》に閉じこめられて退屈に苦しんでる、あの惨《みじ》めな野獣のようであった。クリストフは同情からそれらの獣を見に行った。彼は獣らの驚嘆すべき眼を見守った。その眼には荒々しい絶望的な炎が、燃えていた――日に日に消えてゆきつつあった。ああ彼らは、自分を解放してくれる暴虐な射殺を、いかに望んでいることであろう! 彼らに生をも死をも妨げる人間の獰猛《どうもう》な冷淡さに比ぶれば、むしろいかなることでもはるかに望ましいのだ!
 クリストフにとって最も圧迫的に感ぜられるものは、人々の敵意ではなかった。それは人々の形も根底もない不定な性質であった。あらゆる新思想を了解することを拒む、偏狭な頑固《がんこ》な頭脳を有する人々の執拗《しつよう》な対抗にたいして、どうすればよかったのか。力にたいしては力がある、岩石を切り砕く鶴嘴《つるはし》と爆薬とがある。しかしながら、凝液のごとくぬらりとして、少しの圧力にもくぼみ、しかもなんらの痕跡《こんせき》をも残さない、無定形な塊《かたまり》にたいしては、いかんとも方法がない。あらゆる思想、あらゆる精力、すべては泥濘《でいねい》のうちに没してしまうのであった。一つの石が落ちても、深淵《しんえん》の表面にようやく二、三の波紋がたつのみだった。その顎《あご》は開いてはまた閉じた。そしてそこにあったものの痕跡は、もはや少しも残らなかった。
 彼らは敵ではなかった。むしろ敵であればありがたいのだが! 彼らは、愛することも、憎むことも、信ずることも、信じないことも――宗教、芸術、政治、日常生活、すべてにおいて――皆その力がない徒輩であった。彼らの気力はことごとく、和解し得ざるものを和解させんとつとめることに費やされていた。ことにドイツの戦勝以来、新しい力と古い主義との妥協を、嫌悪《けんお》すべき陰謀を、彼らは企図していた。古い理想主義は捨てられていなかった。そこにこそ人々がなし得ないでいる解放の努力が残されていた。彼らはドイツの利益に役だたせんがために理想主義を歪曲《わいきょく》して満足していた。たとえば冷静にして表裏あるヘーゲルを見るがいい。彼はライプチヒとワーテルローとの戦役を待って、おのれの哲学の趣旨とプロシャ国家とを同一たらしめた――利害関係が変わったので主義も変わったのである。人々は敗北したおりには、ドイツは人類を理想とすると言っていた。今や他に打ち克《か》つと、ドイツは人類の理想であると言っていた。他の
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