な日が、往々あるものである。
管絃楽の曲目には、エグモント[#「エグモント」に傍点]の序曲、ワルトトイフェルの円舞曲《ワルツ》、タンホイゼルのローマ巡礼[#「タンホイゼルのローマ巡礼」に傍点]、ニコライの陽気な女房[#「陽気な女房」に傍点]の序曲、アタリー[#「アタリー」に傍点]の宗教行進曲、および、北極星[#「北極星」に傍点]といふ幻想曲《ファンタジア》、などが含まれていた。管絃楽は、ベートーヴェンの序曲を几帳面《きちょうめん》に演奏し、それから円舞曲《ワルツ》を猛然と演奏した。タンホイゼルの巡礼[#「タンホイゼルの巡礼」に傍点]が奏されてる間に、酒瓶《さけびん》の栓《せん》を抜く音が聞えた。クリストフの隣りのテーブルにすわっていた大男が、陽気な女房[#「陽気な女房」に傍点]の節《ふし》を取りながらフォルスタフの身振りをした。空色の長衣を着、白い帯をしめ、御子《しし》鼻に金の鼻眼鏡をかけ、腕の赤い、胴の大きな、肥満した年増の婦人が、シューマンとブラームスとの二、三の歌曲《リード》を、しっかりした声で歌った。彼女は眉《まゆ》をつり上げ、横目を使い、瞬《またた》きをし、左右に頭をうち振り、月のようなその顔に、凍りついた大きな微笑を浮かべ、そして、彼女のうちに輝き出してる厳格な正直さがなかったら、奏楽コーヒー店を時々|偲《しの》ばせるような、大袈裟《おおげさ》な身振りを盛んにやった。一家の母親たる彼女は、熱烈な娘や青春や情熱などを演じたのである。かくてシューマンの詩は、なんとなく育児院めいた無趣味な匂《にお》いを帯びてきた。聴衆は歓喜していた。――しかし、「南ドイツ男声合唱団」が現われた時、聴衆の注意は厳粛になった。彼らは感傷に満ちた種々の合唱曲を、順次にささやいたり喚《わめ》いたりした。四十人の人員で、四人で歌ってるような調子だった。あたかもその合唱から、本来の合唱的特色をことごとく除き去ろうと努めてるかと思われた。大太鼓をたたくような急激な大声を交えながらも、細かな旋律的効果を、内気な涙っぽい細やかな気分を、息も絶え絶えの最弱音の調子を、ねらったものであった。豊満と平衡との欠除であり、甘ったるい様式であった。ボットムの言葉を思わせた。
――私に獅子《しし》の役をやらしてください。雛《ひな》に餌《え》をやる女鳩《めばと》のように、私はやさしく吼《ほ》えてみせます。
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