んだろう、どうしたんだろうねえ。」
 この働き者の老婆《ろうば》は、どうして自分の力がにわかに折れくじけてしまったか、それを理解することができなかった。そしてただ恥ずかしい思いをした。彼はそれに気づかないふりを装った。
「少しくたびれたんですよ、お母さん。」と彼はつとめて平気な調子で言った。「なんでもないことでしょう。今によくなります……。」
 しかし彼も心配になった。幼い時から彼は、あらゆる艱難《かんなん》に黙って堪えてゆく雄々しい忍従的な彼女の姿を、いつも見慣れていた。そして今のその悄沈《しょうちん》したさまが、彼には心配だった。
 彼は彼女に手伝って、床《ゆか》の上に散らかってる品物を片付けた。時々彼女は、ある品に心止めてぐずついた。しかし彼はそれを彼女の手から静かに取上げた。彼女はなされるままになっていた。

 それ以来彼は、前よりもつとめて母といっしょにいるようにした。仕事を終えると、自分の室に閉じこもらないで、彼女のところへ行った。彼女がいかほど孤独であるかを、また孤独に堪えるほど十分強くないことを、彼は感じていた。彼女をそのまま一人で置くのは危険だった。
 夕方には、往来
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