るだろうが、」と言ったのかしら?
あるいはまたそんなことは何にも言わなかったのかもしれない。――いや、祖父は確かに言った。
彼女はそれに確信があった。……では彼らは、彼女が醜いことを、クリストフが彼女に我慢しかねてることを、知らなかったのか?……しかし希望をかけるのはうれしいことだった。おそらく自分が思い違いしたんだろう、自分で思ってるほど醜くはないんだろうと、彼女は信ずるにいたった。彼女は椅子《いす》の上に身を起こして、正面にかかってる鏡を見てみた。もうどう考えていいかわからなかった。要するに、祖父と父とは彼女よりもすぐれた批判者だった。自分のことは自分で批判できないものだ。……ああ、もしそうだったら……もしかして……自分でも気がつかずに……もしきれいだったとしたら!……またおそらく、クリストフの素気ない感情を誇張して考えてるのかもしれなかった。だがもちろん、その冷淡な少年は、事変の翌日、同情の様子を彼女に示したあとは、もはや彼女のことを気にかけなかった。容態を見に行くことも忘れた。しかしローザは彼を許してやった。彼は種々なことに忙しいのだ。どうしてこちらのことを考えられよう。芸術家を他の人々と同じように批判してはいけないのだ。
けれども、彼女はいかにあきらめても、彼がそばを通りかかると、心を踊らしながら同情の言葉を待たずにはいられなかった。ただ一言、ただ一|瞥《べつ》……その他のことは想像でこしらえ出せるのだった。恋の初めは、ごくわずかな養分をしか必要としない。たがいに顔を合せ、たがいにすれちがうだけで、十分である。そういうころには、ほとんど一人で恋愛を創《つく》り出すに足りるほどの空想力が、魂から流れだす。些細《ささい》なことで魂は恍惚《こうこつ》の境にはいってゆく。後にそういう恍惚さを魂がほとんど見出さなくなるのは、次第に満足してゆき、ついに欲求の対象を所有してゆくに従って、ますます要求深くなる時のことである。――だれもまったく気づかなかったが、ローザはいろんなものでみずからこしらえ上げた物語《ローマンス》の中にばかり生きていた。クリストフは人知れず彼女を愛している、けれどあえてそれをうち明け得ないでいる、それは気恥ずかしいからであり、あるいはまた、この感傷的な馬鹿娘の想像に気に入るような、ある小説的な架空的な馬鹿げた理由からである。そういうことについて、彼女はまったく荒唐|無稽《むけい》なつきない話を作りだしていた。馬鹿な作り話だとは自分でも知っていたが、しかしそう認めたくなかった。幾日もの間、仕事の上にかがみ込みながら、みずから自分をだまかしては喜んでいた。そのためにしゃべることを忘れてしまった。彼女の言葉の波は彼女のうちに潜んでしまって、あたかも河が突然地面の下に流れ込んだようなものだった。しかしその補いはついていた。無言の話の、会話の、なんという耽溺《たんでき》だったろう! 時としては、書物を読む時その文字の意味を理解するために、一音一音口の中で言ってみなければ承知しない人のように、彼女の唇《くちびる》の動くのが見えることもあった。
そういう夢から覚《さ》めると、彼女はうれしくもありまた悲しくもあった。実際の事情は、今自分が心の中で語ったとおりではないことを、彼女はよく知っていた。しかし幸福の反映がまだ彼女のうちに残っていた。そして彼女はまたいっそう頼もしい心地《ここち》で生活しだした。クリストフを得られないと絶望してはいなかった。
彼女はそれとはっきりした心でではなかったが、クリストフを得ようと企てた。この無器用な小娘は、強い愛情が与えてくれる確実な本能をもって、一挙に、友の心をとらえ得る道を見出すことができた。彼女は直接彼に向うことをしなかった。怪我がなおって、ふたたび家の中を駆け回れるようになると、彼女はルイザに近づいた。ごくわずかな口実ででもよかった。ちょっとした用をやたらに見つけてはルイザを助けてやった。出かける時には、かならず何か使いを頼ませた。代りに市場へ行ってやり、用達人らと談判してやり、中庭のポンプで水をくんできてやり、家庭内の仕事の一部まで引受けて、敷石を洗い床板をみがいてやった。ルイザが断ってもきかなかった。ルイザは自分一人で仕事をさしてもらえないのを当惑したが、しかし非常に疲れきっていて、助けに来てくれるのに反対するだけの力がなかった。クリストフは終日不在だった。ルイザは一人ぽっちの寂しさを感じていた。そしてこの親切な騒々しい娘といっしょにいるのは、彼女のためによかった。ローザは彼女の許《もと》に腰をすえてしまった。自分の仕事までもってきた。そして二人は話しだした。娘は下らない策をめぐらして、話をクリストフの上に向けようとつとめた。彼の噂《うわさ》をきくと、ただ彼の名前をきくだ
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