よく知ってるとおり、わしはお前を恨んだこともないし、お前と知り合ってからはいつも好意をもっていた。それに、一度こうときまってしまえば、もう後もどりはできない。あとはただ義務を尽すことばかりだ、正直に。」
 彼は元の席へもどって腰掛け、ちょっと間をおいて、それから、いつも自分の格言を口にする時のような厳《いかめ》しさで言った。
「人生で第一のことは、おのれの義務を尽くすことだ。」
 彼は抗議を待ち受け、火の上に唾《つば》をした。それから、母親も子供もなんら異論をもち出さなかったので、なお言葉をつづけたく思った――が、口をつぐんだ。

 彼らはもう一言も口をきかなかった。ジャン・ミシェルは暖炉のそばで、ルイザは寝床にすわって、二人とも悲しげに夢想していた。老人はああは言ったものの、息子の結婚のことを苦々《にがにが》しげに考えていた。ルイザの方も同じくそのことを考えていた、そしてみずから非難すべき点は何もなかったけれど、それでも気がとがめていた。
 ジャン・ミシェルの子メルキオル・クラフトと結婚した時、彼女は女中であった。でその結婚にはだれも驚いたが、とくに彼女自身が驚いた。クラフト家には財
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