井に踊る光の線を眺める。それは尽くることなき楽しみである。にわかに彼は声高く笑う。聞く者の心を喜ばせる子供の善良な笑い。母親は彼の方に身をかがめて言う、「まあどうしたの、坊や。」すると、見る人がいるのでなお努めて笑うのでもあろうか、彼はますます晴やかに笑う。母親はしかつめらしい様子をして、父親を覚まさないようにと、彼の口に指を一本あてる。けれども彼女の疲れてる眼は、我知らず笑っている。二人はいっしょにささやき合う……。と突然、父親は激しく怒鳴りつける。二人とも震え上がる。母親は罪を犯した小娘のように、急いで寝返りをして、眠ったふりをする。クリストフは寝床に深く身を埋めて、じっと息をこらす……。死のような沈黙。
しばらくすると、毛布の下にかがまっていた子供は、そっと顔を覗《のぞ》き出す。屋根の上には風見《かざみ》が軋《きし》っている。樋《とい》からは点滴《しずく》がたれている。御告《みつげ》の祷《いのり》の鐘が鳴る。風が東から吹く時には、対岸の村々の鐘が、ごく遠くからそれに響きを合わせる。木蔦《きづた》のからんだ壁に群がってる雀《すずめ》が、騒がしく鳴きたてる。その中には、一群の子供の遊びに見られるように、他のよりもずっと疳《かん》高いいつも同じような三、四の声が、ひときわ高く響いている。一羽の鳩《はと》が、煙突の頂上で喉《のど》を鳴らしている。子供はそれらの音に身を任せる。彼は歌い出す、ごく低く、それから少し高く、それからごく高く、次には非常に大きな声で。するとついに、父親は声をとがらしてまた怒鳴る、「この驢馬《ろば》め、まだ黙らないのか! 待ってろ、耳を引張ってやるぞ!」そこで子供はまた毛布の中にもぐり込む。笑っていいか泣いていいか分らない。恐怖と屈辱とを感ずる。それと同時に、自分がたとえられた驢馬のことを頭に浮べると、思わず放笑《ふきだ》してしまう。寝床の奥から、驢馬の鳴声を真似《まね》る。とこんどは打たれる。彼は身体じゅうの涙をしぼって泣く。自分は何をしたというのだろう? 彼は笑いたくてたまらない、動き出したくてたまらない! それなのに身を動かすことは禁ぜられてる。どうして皆《みんな》はいつまでも眠れるのだろう! いつ起き上がったらいいのかしら?……
ある日、彼はもう我慢がしきれなくなった。猫か犬か、なんだか珍しい音が、往来に聞えたのである。彼は寝床の外に
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