絶食を余儀なくせらるるまでの貧困、愛する人々の死より来る無惨なる悲哀、愚昧《ぐまい》なる周囲から道徳的破産を宣せらるるの恥辱、すべてを巻き込まんとする虚偽粉飾の生温い空気、その他あらゆるものに彼の霊肉はさいなまれた。しかしながら彼は、自分の信念を道づれとして勇ましく自分の道を切りひらいていった。いかにつまずき倒れても、ふたたび猛然と奮《ふる》いたつだけの力が、彼の内部から湧き上がってきた。苦しめば苦しむほど、障害を突破すればするほど、その力はますます大きくなっていった。そして彼の苦闘の生涯は、洋々として流れていった。
「ジャン・クリストフ」十巻は、実にかかる力の河の流れを、そのまま写し出したものである。あるいは急湍《きゅうたん》をなしあるいは深き淵《ふち》を作りつつも、それは常に力強く流れてゆく。「ジャン・クリストフ」十巻は一つの河流として、作者ロマン・ローランの脳裡《のうり》に映じていた。そこにはいわゆる小説らしい構図はない。ただ一筋の流れがあるのみである。そしてその一筋の流れを、眼に見えるがようにではなく、耳に聞えるがように、作者はわれわれに伝えている。
ロマン・ローランは、看《
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