人離れて真理を追求しつつ敬虔《けいけん》なる努力をつづけている選まれたる人と、敗戦の苦痛によって鍛え上げられた一民族のうちに潜んでいる再興の力とを、彼は発見したのであったが、それは眼前を通過する一|閃《せん》の光明にすぎなかった。根深きところより射す光明ではあったが、それを覆《おお》う暗闇はなお深かった。そしてある日の暴動を機縁として、彼はかつておのれの祖国より逃れたと同じように、フランスの国外に逃亡しなければならなかった。
この間、彼は故国にある時またパリーにある時、幾多の恋愛を経験した。あるいはやさしい心の愛情であり、あるいは強い肉体の欲情であった。そしてそれらの迷執《めいしゅう》に、幾度か傷つきながらも、幾度かつまずきながらも、彼の魂はかえって鍛えられつちかわれた。真実と芸術とに奉仕する彼の心が、息苦しい異性の香りの方へ引きずられたのは、またそれらの事件から、憂鬱《ゆううつ》でなしに力を、精神の頽廃《たいはい》でなしに緊張を、たえず摂取していったのは、彼の強烈な生命の力のゆえにほかならなかった。
生命の力とその闘争、それがジャン・クリストフの生涯を彩《いろど》るものであった。絶食を余儀なくせらるるまでの貧困、愛する人々の死より来る無惨なる悲哀、愚昧《ぐまい》なる周囲から道徳的破産を宣せらるるの恥辱、すべてを巻き込まんとする虚偽粉飾の生温い空気、その他あらゆるものに彼の霊肉はさいなまれた。しかしながら彼は、自分の信念を道づれとして勇ましく自分の道を切りひらいていった。いかにつまずき倒れても、ふたたび猛然と奮《ふる》いたつだけの力が、彼の内部から湧き上がってきた。苦しめば苦しむほど、障害を突破すればするほど、その力はますます大きくなっていった。そして彼の苦闘の生涯は、洋々として流れていった。
「ジャン・クリストフ」十巻は、実にかかる力の河の流れを、そのまま写し出したものである。あるいは急湍《きゅうたん》をなしあるいは深き淵《ふち》を作りつつも、それは常に力強く流れてゆく。「ジャン・クリストフ」十巻は一つの河流として、作者ロマン・ローランの脳裡《のうり》に映じていた。そこにはいわゆる小説らしい構図はない。ただ一筋の流れがあるのみである。そしてその一筋の流れを、眼に見えるがようにではなく、耳に聞えるがように、作者はわれわれに伝えている。
ロマン・ローランは、看《
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング