をささえ、そして市場町の方へ歩き出した。ジャン・ヴァルジャンはその姿を見送った。数歩進んだジャヴェルは振り向いて、ジャン・ヴァルジャンに叫んだ。
「君は俺《おれ》の心を苦しめる。むしろ殺してくれ。」
 ジャヴェルはジャン・ヴァルジャンに向かってもうきさまと言っていないのを自ら知らなかった。
「行くがいい。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 ジャヴェルはゆるい足取りで遠ざかっていった。やがて彼はプレーシュール街の角《かど》を曲がった。
 ジャヴェルの姿が見えなくなった時、ジャン・ヴァルジャンは空中にピストルを発射した。
 それから彼は防寨《ぼうさい》の中に戻って言った。
「済んだ。」
 その間に次のことが起こっていた。
 マリユスは防寨の内部より外部の方に多く気を取られて、下の広間の薄暗い奥に縛られた間謀《スパイ》をその時までよくは見なかった。
 しかし、死にに行くため防寨をまたぎ越してる間謀《スパイ》をま昼の光で見た時、彼はその顔を思い出した。一つの記憶が突然頭に浮かんできた。ポントアーズ街の警視のことと、防寨の中で自分が使っている二梃《にちょう》のピストルはその警視からもらったものであることを、思い起こした。そしてその顔を思い起こしたばかりでなく、またその名前を思い起こした。
 けれどもその記憶は、彼の他の観念と同じように、おぼろげで乱れていた。それは自ら下した断定ではなく、自ら試みた疑問であった。
「あの男は、ジャヴェルと名乗ったあの警視ではないかしら?」
 たぶんまだその男のために調停する時間はあったろう。しかし、果たしてあのジャヴェルであるかをまず確かめなければならなかった。
 マリユスは防寨の向こう端に位置を占めたアンジョーラを呼びかけた。
「アンジョーラ!」
「何だ!」
「あの男の名は何というんだ。」
「どの男?」
「あの警察の男だ。君はその名前を知ってるか。」
「もちろん。自分で名乗ったんだ。」
「何という名だ。」
「ジャヴェル。」
 マリユスは身を起こした。
 その時、ピストルの音が聞こえた。
 ジャン・ヴァルジャンが再び現われて、「済んだ」と叫んだ。
 暗い悪寒《おかん》がマリユスの心をよぎった。

     二十 死者も正しく生者も不正ならず

 防寨《ぼうさい》の臨終の苦悶《くもん》はまさに始まろうとしていた。
 その最後の瞬間の悲痛な荘厳さを、あらゆるものが助成していた。空中に漂ってる無数の神秘な響き、見えない街路の中に行動してる密集した軍隊の気配《けはい》、おりおり高まる騎兵の疾駆する音、砲兵の行進する重いとどろき、パリー街衢《がいく》に交差する銃火と砲火、屋根の上に立ち上ってゆく金色の戦塵《せんじん》、恐ろしげな遠い一種の叫喚の声、至る所を脅かす電光、今やすすりなきするような調子になってるサン・メーリーの警鐘、季節の穏和、日光と雲とに満たされた空の輝き、日光の麗しさ、人家の恐ろしい沈黙。
 前日以来、シャンヴルリー街の両側に並んでる人家は、二つの壁、荒々しい二つの壁となっていたのである。戸は閉ざされ、窓は閉ざされ、雨戸も閉ざされていた。
 現在とはいたく異なってる当時にあっては、あまりに長く続いた状態を、特に与えられた法典を、あるいは法治国の美名を、民衆が破り去らんと欲する時間が来る時、一般の憤怒の念が大気中にひろがる時、都市がその舗石《しきいし》をはぐに同意する時、反乱がその合い言葉を耳にささやいて市民をほほえます時、その時住民は言わば暴動の気に貫かれて、戦士の後援者となり、また人家は、よりかかってくる即座の要塞と相親しんだ。しかし情況がまだ熟さない時、反乱が決定的な同意を得ない時、群集がその運動を好まない時には、戦士らは見捨てられ、都市は反抗の周囲に砂漠《さばく》と変じ、人の魂は冷却し、避難所は閉ざされ、街路は防寨《ぼうさい》を占領せんとする軍隊を助ける隘路《あいろ》となるのだった。
 民衆はいかに強《し》いられても、おのれの欲する以上に早く足を運ぶものではない。民衆にそれを強いんとする者こそ禍《わざわい》である。民衆は他の自由にはならない。そして民衆は反乱をその成り行きに放置する。暴徒らはペスト患者のごとく見捨てられる。人家は断崖《だんがい》となり、戸は拒絶となり、家の正面は壁となる。その壁は物を見また聞くけれども、それを欲しない。多少口を開いて反徒を救うであろうか。否。一の審判者となるのである。反徒らをながめて、彼らに罪を宣告する。それらの閉ざされた人家こそいかに陰惨なるものであるか。一見死んでるように思われるが、実は生きているのである。生命の流れはそこで切れてるようであるが、実は存続している。もう一昼夜の間だれも出入りしなかったが、人はひとりも欠けてはいない。その巌《いわお》のように静まり返った家の中では、人が行ききし起臥《きが》している。家庭をなしている。飲みまた食っている。ただ恐ろしいことには、戦々|兢々《きょうきょう》としている。その恐怖の念は、反徒らに対するひどい冷淡さを宥恕《ゆうじょ》するものである。また酌量すべき情況としては狼狽の念もいっしょにある。時としては、そして実際あったことであるが、恐怖は熱情となることもある。慎重が憤激に変わり得るように、恐怖は狂猛に変わり得る。そこから、温和派の熱狂者[#「温和派の熱狂者」に傍点]という意味深い言葉が生じてくる。極度におびえた感情は炎となって、そこからすごい煙のような憤怒の情が生じてくる。「彼ら反徒どもは何を望んでいるのか? 彼らはかつて満足ということを知らない。彼らは平穏な人々にまで累を及ぼそうとしている。これでもまだ革命が足りないとでも思っているのか。ここに何をしに来たのか。勝手に何でもするがいい。終わりはどうせきまっている。自業自得だ。なるようになるだろうさ。われわれの知ったことではない。この街路もかわいそうに一面に弾傷を受けるのか。全く無頼漢どもの寄り合いだ。まず第一に戸を開かないことだ。」かくして人家は、墓のようなありさまになる。反徒はその戸の前で、死の苦しみを受ける。霰弾《さんだん》と抜き身のサーベルとが近づいてくるのを見る。叫んだところで、聞いてる者はあるが助けにきてくれる者はないのがわかっている。そこには他を庇護《ひご》し得る壁もあり、彼らを救い得る人もいる。しかも、壁には聞く耳があるけれども、人には石のような心しかない。
 だれを咎《とが》むるべきであるか?
 何人《なんぴと》をも、そしてまたすべての人を。
 吾人が属するこの不完全な時代を。
 高遠なる理想が、自ら反乱と変化し、哲理上の抗議を武装上の抗議となし、ミネルヴァをパラスとするのは([#ここから割り注]訳者注 ミネルヴァというは詩の神としての名称であり、パラスというは戦の神としての名称であって、同一の女神である[#ここで割り注終わり])、常に自己を危険にさらしてのことである。忍耐しきれずに暴動となる理想は、いかなる目に会うかを自らよく知っている。多くは時機が早すぎるものである。それで自ら運命に忍従して、勝利の代わりに破滅を勇ましく甘受する。拒絶を浴びせる者らを恨むことなく、かえって彼らを弁護しながら彼らに奉仕する。寛大にも見棄《みす》てられることに同意する。障害に対しては不屈であり、忘恩に対しては柔和である。
 とはいえ、そもそもそれは、忘恩であろうか?
 しかり、人類の見地よりすれば。
 否、個人の見地よりすれば。
 進歩は人間の様式である。人類一般の生命を進歩[#「進歩」に傍点]と称する。人類の集団的歩行を進歩[#「進歩」に傍点]と称する。進歩は前進する。それは天国的なるものおよび神的なるものの方へ向かって、地上的な人間的な大旅行を試みる。けれども落伍者《らくごしゃ》を収容するための休憩所を持っている。ある燦然《さんぜん》たるカナンの地([#ここから割り注]訳者注 神がイスラエル人に与うべきことを約束せる土地―旧約[#ここで割り注終わり])が突然地平線上に現われるのを前にして、瞑想《めいそう》するための停立所を持っている。眠るべき夜を持っている。そして、人間の魂の上に影がおりているのを見、眠ってる進歩を暗黒のうちに探りあてながらそれをさまし得ないということは、思想家の深い痛心の一つである。
「おそらく神は死んでる[#「おそらく神は死んでる」に傍点]」とジェラール・ド・ネルヴァルは本書の著者に向かってある時言った。しかしそれは進歩と神とを混同し、運動の中絶をもって運動者の死と見做《みな》しての言である。
 絶望する者は誤っている。進歩は必ず目をさます。また進歩は結局眠りながらも前進したと言ってもいい、なぜなら成長したからである。進歩が再び立ち上がる時、その姿は前よりも高くなっている。常に平静であることは、川自身の関するところでないと同じく、進歩自身の関するところではない。決して障壁を築くな、決して岩石を投入するな。障害は水を泡立《あわだ》たしめ、人類を沸騰せしむる。そこに混乱が生ずる。しかしその混乱の後にも多少前進したことが認められる。一般的平和にほかならない秩序が立てられるまでは、調和と統一とが君臨するまでは、進歩はその道程中に革命を持つであろう。
 しからば進歩[#「進歩」に傍点]とは何であるか? それは上に言ったとおりである。民衆の恒久なる生命である。
 しかるに、個人の一時的生命が人類の永遠なる生命に相反することが、時として起こってくる。
 吾人はかく高言することができる。個人は一定の利益を有しており、条件を付してそれを譲り得るものである。現在は宥《ゆる》し得べき程度の利己心を持っている。一時の生命もその権利を有していて、未来のために常に犠牲にせらるべきものではない。現在地上を通るべき順番になっている時代は、後に地上を通るべき順番になってる他の時代のために、結局同等な他の時代のために、その命脈を縮めらるべきはずではない。すべての者[#「すべての者」に傍点]とよばるるある者がつぶやく。「私は存在している。私は年若く恋に燃えてる。あるいは、年老い休息を欲してる。私は一家の父であり、働き、繁昌《はんじょう》し、事業に成功し、貸し家を持ち、政府に預けた金を持ち、幸福であり、妻も子も持っており、すべてそれらのものを愛し、生き存《なが》らえたい。私を静かにさしておいて欲しい。」そういう所から、ある時におよんで、人類の豪侠《ごうきょう》なる前衛に対する深い冷淡さが生じてくる。
 その上また高遠なる理想は、戦いをなしながらその光り輝く天地を去るということを、吾人は是認したい。明日の真理なる理想は、咋日の虚偽から、その方法すなわち戦いを借りてくる。未来なる理想は、過去のごとく行動する。純潔なる観念でありながら、自ら違法の行為となる。おのれの勇壮のうちに暴戻をも交じえる。その暴戻については自ら責を負うのが至当である。主義に反したる時宜と便宜との暴戻であって、必ずその罪を負わなければならない。理想がなす反乱も、古い軍法を手にして戦う。間諜《かんちょう》を銃殺し、反逆者を処刑し、生ける者を捕えて未知の暗黒界に投げ込む。死を使用する。そしてこれは重大なことである。理想はもはや、その不可抗不可朽の力たる光明に信念を持たないがようである。剣をもって人を打つ。しかるにいかなる剣も単一なるものはない。あらゆる剣は皆|両刃《もろは》である。一方で他を傷つける者は、他方でおのれを傷つける。
 以上の制限を付しながらも、しかも厳重に付しながらも、未来の光栄ある戦士らを、理想の司祭らを、そが成功すると否とを問わず、吾人は賛美せざるを得ないのである。彼らの業が流産に終わろうとも、彼らは尊敬に値する。そしておそらくその不成功のうちにこそ、彼らはいっそうの荘厳さを持つ。進歩にかなったる勝利は、民衆の喝采《かっさい》を受くるに足る。しかし勇壮な敗北は、民衆の心を動かすに足る。一つは壮大であり、一つは崇高である。成功よりもむしろ主義に殉ずることを取る吾人に言わすれば、ジョン・ブラ
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