刺に富んだ詩人[#ここで割り注終わり])などのような言葉が、更に隠語を交じえてそれから流れ出る。その上方から群集の上に、野卑な文句が投げつけられる。できる限りたくさんの人を積んでるその馬車は、戦利品のようなありさまに見える。前部は喧騒《けんそう》をきわめ、後部は混雑をきわめている。一同は怒鳴り、喚《わめ》き、吼《ほ》え、笑い、有頂天になっている。快活の気はわき立ち、譏刺《きし》は燃え上がり、陽気さは緋衣《ひい》のようにひろがっている。二匹の痩馬《やせうま》は、花を開いてる滑稽を神に祭り上げて引いてゆく。それは哄笑《こうしょう》の凱旋車《がいせんしゃ》である。
 その哄笑は、露骨というにはあまりに皮肉すぎる。実際その笑いには怪しげな気がこもっている。それは一つの使命を帯びてるのである。パリー人に謝肉祭を示すの役目を持ってるのである。
 それら野卑無作法な馬車には、何となく暗黒の気が感ぜらるるものであって、思索家をして夢想に沈ませる。その中には政府がいる。公人と公娼《こうしょう》との不思議な和合がそこにはっきりと感ぜらるる。
 種々の醜悪が積み重なって一つの快活さを作り上げること、破廉恥と卑賤《ひせん》とを積み上げて民衆を酔わすこと、間諜が醜業をささえる柱となって衆人を侮辱しながらかえって衆人を侮辱しながらかえって衆人を笑わせること、金ぴかのぼろであり、半ば醜業と光明とであり、吠《ほ》えまた歌っている、その生きた恐ろしい積み荷が、辻馬車《つじばしゃ》の四つの車輪に運ばれてゆくのを見て、群集が喜ぶこと、あらゆる恥辱でできてるその光栄に向かって、人々が手をたたいて喝采《かっさい》すること、二十の頭を持った喜悦の怪蛇《かいだ》を自分たちのまんなかに引き回してもらうという以外には、群集にとって何らおもしろいにぎわいもないということ、それは確かに悲しむべきことである。しかしどうしたらいいのか。リボンと花とで飾られた汚賤《おせん》のそれらの車は、公衆の笑いによって侮辱されながら赦《ゆる》されているではないか。すべての者の笑いは、一般の堕落を助ける。ある種の不健全なにぎわいは、民衆を分散さして多衆となす。そして多衆にとっては暴君にとってと同じく、諧謔《かいぎゃく》が必要である。国王にはロクロールがあり、人民にはパイヤスがある([#ここから割り注]訳者注 前者はルイ十四世の下にいた諧謔
前へ 次へ
全309ページ中207ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング