ゼがモリエールを嘲り、ポープがセークスピヤを嘲り、フレロンがヴォルテールを嘲ったのは、昔からよくある嫉妬《しっと》と憎みからきたのである。天才は嘲笑《ちょうしょう》を受け、偉人は多少人から吠《ほ》えらるるのが常である。しかしゾイルス輩とキケロとはまったく別者だ。キケロは思想による審判者である。あたかもブルツスが剣による審判者であるのと同じだ。僕に言わすれば、後者の審判すなわち剣によるものは好ましくない。しかし古代はそれを許していた。ルビコンを渡ったシーザーは、民衆から来るもろもろの地位をおのれから出るもののように人に授け、元老院に姿を現わさず、エウトロピウスが言ったように、王のごときまたほとんど暴君のごときこと[#「王のごときまたほとんど暴君のごときこと」に傍点]を行なった。そして彼は偉人であったために、それだけ不幸ともまた幸とも言える。なぜなれば、彼が偉人であっただけにいっそうその教訓は高遠となったから。しかし僕の目から見れば、彼が受けた二十三の傷は、イエス・キリストの額に吐きかけられた唾《つば》ほどの痛切さを持たない。シーザーは元老院の議員らから刺されたが、キリストは下男らから侮辱され頬《ほお》を打たれた。侮辱がより大なるがゆえに、人は神を感ずるのだ。」
積み重ねた舗石《しきいし》の上からそれらの会談者らを見おろしながら、ボシュエはカラビン銃を手にしたまま叫び出した。
「おお、シダテネオム、ミリノス、プロバリンテよ、エアンチデの三女神よ! ああたれかわれをして、ラウリオムやエダプテオンのギリシャ人のごとくに、ホメロスの詩を誦《ず》せしむる者があるか!」
三 光明と陰影
アンジョーラは偵察《ていさつ》に出かけていた。彼は軒下に沿ってモンデトゥール小路から出て行った。
ちょっとことわっておくが、暴徒らは皆希望に満ちていた。たやすく前夜の襲撃を撃退したので、夜明けの襲撃をも前もってほとんど軽蔑するような気になっていた。彼らはその襲撃を微笑しながら待ち受けていた。彼らはおのれの主旨を確信するとともに、成功をもはや疑わなかった。その上援兵もきつつあるに違いないと思っていた。彼らはそれをあてにしていた。光明的な楽観をもって前途を速断するのは、フランス戦士の力の一つである。彼らはきたらんとする一日を三つの局面に分かって、それを確信していた。すなわち、朝六時
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