》なる相貌《そうぼう》を伝えることはとうていできない。そこには、屋根裏に隠されてる痛ましい困窮があるとともに、また熱烈なるまれなる知力がある。両極端相接するの危険は、ことに困窮と知力との両極端をもってする時に大である。
サン・タントアーヌ郭外は、人を慄然《りつぜん》たらしむるなおほかの理由を持っていた。すなわちその郭外は、商業上の危機、破産、同盟罷工、休業など、すべて政治上の大動揺に伴って起こる諸現象の反動を受けている。革命の時には、貧困は同時に原因であり結果である。革命が与える打撃はまた自身の上にも返ってくる。ほこらかな徳操に満ち、潜熱の最高度まで上りつめ、常に武器を執らんと待ち構え、直ちに爆発せんとし、いら立ち、掘り返されてる、深刻なるその民衆は、もはやただ一つの火粉が落ちて来るのを待ってるばかりのようであった。事変の風雲に追わるる火花が地平にひらめくたびごとに、人はサン・タントアーヌ郭外を思わざるを得なかった。そして苦難と思想とのその火薬庫をパリーの市門の所に置いた恐るべき偶然を、思わざるを得なかった。
読者が既に見てきたスケッチのうちに一度ならず描かれてるこのアントアーヌ郭
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