。外には大勢人がいるが、ここにはだれもいない。外には月も照っていないが、ここには俺の蝋燭《ろうそく》があるんだ。」
ふたりの子供は前ほどこわがらないで部屋《へや》の中を見回し始めた。しかしガヴローシュは彼らに長く見回してる暇を与えなかった。
「早くしろよ。」と彼は言った。
そして彼はふたりをちょうど室《へや》の奥とでも言える方へ押しやった。
そこに彼の寝床があった。
ガヴローシュの寝床はすっかり整っていた。すなわち、敷き蒲団《ぶとん》と掛け蒲団とまた帷《とばり》のついた寝所とをそなえていた。
敷き蒲団は藁《わら》の蓆《むしろ》であったが、掛け蒲団は灰色のかなり広い毛布の切れで、ごくあたたかくまたほとんど新しかった。そして寝所というのは次のようなものだった。
かなり長い三本の柱が、漆喰《しっくい》の屑《くず》が落ち散った地面に、すなわち象の腹に、前方に二本後ろに一本、堅くつき立ててあって、その上の方を繩《なわ》で結わえられ、ちょうどピラミッド形の叉銃《さじゅう》のようになっていた。叉銃の上には金網がのっていて、それはただ上からかぶせられたばかりではあるが、巧みに押しつけて針金で結わえられていたので、三本の柱をすっかり包んでいた。網の裾《すそ》は地面にずらりと並べた大きな石で押さえられて、何物もそれをくぐることができないようになっていた。その金網は動物園の大きな鳥籠《とりかご》に用うるものの一片だった。ガヴローシュの寝床は金網の下にあって、ちょうど籠の中にあるようなものだった。その全体はエスキモー人のテントに似寄っていた。
金網が帷《とばり》の代わりになっていたのである。
ガヴローシュは金網を押さえてる前の方の石を少しよけた。すると重なり合っていた金網の二つの襞《ひだ》が左右にあいた。
「さあ、四《よつ》んばいになるんだ。」とガヴローシュは言った。
彼はふたりの客を注意して籠《かご》の中に入れ、それから自分も後に続いてはい込み、石を並べ、元のとおり堅くその口を閉ざした。
三人は蓆《むしろ》の上に横になった。
皆まだ小さくはあったが、だれもその寝所の中では頭がつかえて立っておれなかった。ガヴローシュはなお「窖《あなぐら》の鼠《ねずみ》」を手に持っていた。
「さあねくたばれ。」と彼は言った。「灯《あかり》を消すぞ。」
「これは何ですか。」と年上の方は金網をさしながらガヴローシュに尋ねた。
「それはね、」とガヴローシュはおごそかに言った、「鼠よけだ。もうねくたばれ。」
けれども彼は、年のゆかないふたりに少し教え込んで置くがいいように思って、続けて言った。
「それは動植物園のものだぜ。荒い獣に使うやつなんだ。倉いっぱいある。壁を乗り越え、窓にはい上り、扉《とびら》をあけさえすりゃあいいんだ。いくらでも取れる。」
そう言いながら彼は、毛布の切れを年下の方にすっかり着せてやった。すると子供はつぶやいた。
「ああこれはいい、あたたかい。」
ガヴローシュは満足そうな目で毛布をながめた。
「それも動植物園のものだ。」と彼は言った。「猿《さる》のを取ってきたんだ。」
そして年上の方に、下に敷いてるごく厚いみごとに編まれた蓆をさし示しながら、彼は言い添えた。
「それはキリンのだぜ。」
しばらくして彼はまた言った。
「獣は皆そんなものを持ってる。俺《おれ》はそれを取ってきてやったんだ。取ったって奴《やつ》ら怒りゃしない。これは象にやるんだ、と俺は言ってやった。」
彼はまたちょっと黙ったが、再び言った。
「壁を乗り越えるんだ、政府なんかへとも思わない。それだけだ。」
ふたりの子供は惘然《ぼうぜん》とした畏敬の念でその知謀ある大胆な少年をながめた。少年は彼らと同じく宿もなく、同じく世に孤立の身であり、同じ弱年ではあったが、何かすばらしい万能なものを持っており、あたかも超自然的な者のようであって、その顔つきには老手品師のような渋面と最も無邪気なかわいい微笑とがいっしょに浮かんでいた。
「それでは、」と年上の方は恐る恐る言った、「巡査《おまわり》さんもこわくないんですか。」
ガヴローシュはただこう答えた。
「巡査《おわまり》さんなんて言うやつがあるか、いぬ[#「いぬ」に傍点]と言うんだ。」
年下の方は目を見張っていたが、何とも口はきかなかった。兄の方がまんなかにいて彼は蓆《むしろ》の端になっていたので、ガヴローシュは母親のように彼に毛布をくるんでやり、古いぼろ布を敷いて頭の下の蓆を高めて枕になるようにしてやった。それから彼は年上の方へ向いた。
「どうだ、いい具合だろう。」
「ええ。」と年上の方は救われた天使のような表情をしてガヴローシュを見ながら答えた。
ずぶぬれになっていたふたりのあわれな子供も、少し身体があたたまって
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