きた。
「だが、」とガヴローシュは続けて言った、「どうしてお前たちは泣いていたんだ。」
そして弟の方を兄にさし示した。
「こんな小さいんならかまわねえが、お前のように大きいのが泣くなあ、ばかげてるぜ。牛の子じゃあるめえし。」
「でも、」と子供は言った、「住居《すまい》がどこにもなかったんだもの。」
「何だい、」とガヴローシュは言った、「住居なんて言うんじゃねえ、小屋というんだ。」
「そして、夜にふたりっきりでいるのがこわかったんだもの。」
「夜じゃねえ、黒んぼというんだ。」
「そうですか。」と子供は言った。
「よく聞いておけ、」とガヴローシュは言った、「もうこれから泣くんじゃねえぞ。俺《おれ》が世話してやる。おもしろいことばかりあるんだ。夏になるとね、俺の仲間のナヴェというやつといっしょにグラシエールに行って、船着き場で泳ぎ回り、オーステルリッツ橋の前でまっ裸で筏《いかだ》の上を駆け回り、洗濯女《せんだくおんな》らをからかってやるんだ。あいつらは、わめいたり怒ったりして、そりゃあおもしろいぜ。骸骨《がいこつ》の男も見に行こう。生きてるんだぜ。シャン・ゼリゼーにいる。びっくりするほどやせっぽちだ。それから芝居にも連れてってやろう。フレデリック・ルメートルを見せてやろう。俺は切符も持ってるし、役者も知ってる。一度は舞台に出たこともあるんだ。俺たちはこれぐらいの小僧だったが、幕の下を駆け回って、それで海になったんだ。お前たちをあすこに雇わしてやろう。また野蛮人も見に行こう。だが本物じゃないんだ。襞《ひだ》のある桃色の襦袢《じゅばん》を着て、肱《ひじ》には白糸が縫い込んである。それからオペラ座にも行こう。雇いの拍手人らといっしょにはいるんだ。オペラ座の喝采組《かっさいぐみ》はうまくできてるぜ。だが俺《おれ》はあいつらと大向こうには行かねえ。オペラ座には二十スーも出してはいるやつがあるが、それはばかげてる。そいつらのことをお百姓というんだ。それからまた、首切りも見に行こう。首切り人に会わしてやろうか。マレー街に住んでる。サンソンていうやつだ。門に郵便箱をつけてやがる。ああ、ほんとにおもしろいんだぜ。」
その時、一滴の蝋《ろう》がガヴローシュの指の上に落ちて、彼を現実の世界に引き戻した。
「畜生、」と彼は言った、「芯《しん》が減ってきた。待てよ、月に一スー以上は灯火《あかり》にかけられねえ。横になったら眠るが一番だ。もうポール・ド・コック([#ここから割り注]訳者注 当時の物語作者[#ここで割り注終わり])の話を読む暇もねえ。それに、門のすき間から光がもれていぬ[#「いぬ」に傍点]にめっかるかも知れないからな。」
「そしてまた、」と年上の方はおずおず言った。ガヴローシュと話をし口をきけるのは彼だけだった。「火の粉が藁《わら》の上に落ちるかも知れないや。家を焼かないように用心しよう。」
「家を焼くと言っちゃいけねえ、」とガヴローシュは言った、「殻を燃すというんだ。」
暴風雨はますます激しくなっていた。雷鳴の間々に驟雨《しゅうう》が巨象の背に打ちかかる音が聞こえていた。
「降れ降れ。」とガヴローシュは言った。「家の足にざあざあ水をあけるのを聞くなあおもしろいや。冬ってばかな野郎だな。大事を品物をなくし、骨折りをむだにして、それで俺たちをぬらすこともできねえで、ただ怒ってばかりいやがる、老耄《おいぼれ》の水商人《みずあきんど》めが。」
ガヴローシュが十九世紀の哲学者として平然と何事も受け入れて揶揄《やゆ》したその雷は、大きな電光を一つもたらして、象の腹のすき間から何かがはいってきたかと思われるばかりにひらめいた。それとほとんど同時に激しい雷鳴がとどろき渡った。ふたりの子供は声を立てて、金網がはずれかけたほど急に飛び上がった。しかしガヴローシュはきつい顔を彼らの方へ向け、雷鳴とともに笑い出した。
「静かにしろ。お堂を引っくり返しちゃいけねえ。なるほどいい雷だ。花火線香のような奴《やつ》とは違ってらあ。上できだぞ! アンビギュ座にも負けないできだ。」
そう言って彼は金網をなおし、静かにふたりの子供を寝床の上に押しやり、すっかり長くなるようにその膝《ひざ》を押さえて伸ばしてやり、そして叫んだ。
「神様が蝋燭《ろうそく》をつけてくれるから、俺は自分のを消そう。さあお前たち、眠るんだぞ。眠らないのはごく悪いや。眠らないと門がねばるぜ、上等の言葉で言やあ、口が臭くなる。よく毛布《けっと》にくるまれよ。消すぞ。いいか。」
「ええ、」と年上の方がつぶやいた、「いいよ。頭の下に羽でも敷いたようなの。」
「頭と言うんじゃねえ、」とガヴローシュは叫んだ、「雁首《がんくび》と言うんだ。」
ふたりの子供は互いに抱き合った。ガヴローシュはその位置を蓆《むしろ》
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