、というよりむしろ各梯子には、相接した四頭の馬がつけられていた。梯子の上には不思議な一群の人が並んでいた。まだ薄暗い明るみの中では、人の形ははっきり見えなくてただそれと察せられるばかりだった。各馬車の上には二十四人の男がいて、両側に十二人ずつ並び、互いに背を向け合って、外の方へ顔を向け、足をぶら下げ、そのまま運ばれていた。その背中には何か音のするものがついていたが、それは鉄の鎖であり、首には何か光るものがついていたが、それは鉄の首輪であった。首輪はひとりに一つずつだったが、鎖は皆に共通だった。それでこの二十四人の男は、馬車からおりて歩くようなことになれば、同一のものに無理に縛られ、鉄の鎖を背骨としてほとんど百足虫《むかで》のように地上をはい回らねばならなかった。各馬車の前後には銃を持ったふたりの男が立っていて、鎖の両端を足下にふまえていた。鉄の首輪は四角なものだった。第七の馬車は、側欄がついて幌《ほろ》がない広い荷車で、四つの車輪と六頭の馬とを持っており、鉄の釜《かま》や鋳物の鍋《なべ》や鉄火鉢《てつひばち》や鉄鎖など音のする荷物を積んで、中には病人らしい数人の男が縛られたまま長く寝ていた。荷車は中まで透かし見られて、昔は責め道具に使ったらしいこわれかかった簀子《すのこ》が張られていた。
 それらの車はみな舗石道《しきいしみち》のまんなかを進んでいた。両側にはいやしい様子をした衛兵が二重の垣を作って歩いていた。彼らは皆執政内閣時代の兵士のように三角帽をかぶり、汚点と破れ目とがあり不潔で、老廃兵のような軍服と死体運搬人のようなズボンをまとい、半分は灰色で半分は青く、ほとんどぼろを着てるようで、その上赤い肩章をつけ、黄色い負い皮をつけ、剣と銃と棒とを持っていた。まったく兵士の無頼漢ともいうべき類《たぐ》いだった。あたかもそれらの護衛兵は、乞食《こじき》の卑賤と死刑執行人の権威とを兼ねそなえてるかのようだった。その隊長とも見える男は、御者の鞭《むち》を手に持っていた。すべてそれらのものは、初め薄ら明るみにくらまされていたが、明るくなるにつれてしだいにはっきりしてきた。列の先頭と後部には、サーベルを手にしていかめしい騎馬の憲兵が進んでいた。
 その行列はかなり長くて、第一の馬車が市門に達する時、最後の馬車はようやく大通りに現われたくらいだった。
 パリーではよく見らるるとお
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