こに住んでるか教えて下さいね。」
 マリユスは答えなかった。
「まあ、」彼女は続けて言った、「あなたのシャツには穴が一つあいているわ。あたしが縫ってあげてよ。」
 彼女はある表情をしたが、それはしだいに曇ってきた。「あなたはあたしに会ったのがいやな様子ね。」
 マリユスは黙っていた。彼女もちょっと口をつぐんだが、それから叫んだ。
「でもあたしがそのつもりになりゃあ、あなたをうれしがらせることだってできるわ。」
「なに?」とマリユスは尋ねた。「あなたは何のことを言ってるんです。」
「まあ、前にはお前って言ってたじゃないの。」と彼女は言った。
「よろしい、お前は何のことを言ってるんだい。」
 彼女は脣《くちびる》をかんだ。何か心のうちで思い惑ってることがあるらしく、躊躇《ちゅうちょ》してるようだった。しかしついに決心したように見えた。
「なに同じことだ……。あなたは悲しそうな様子をしてるわね。あたしあなたのうれしそうな様子が見たいのよ。笑うっていうことだけでいいから約束して下さいね。あなたの笑うところが見たいのよ、そして、ああありがたいっていうのを聞きたいのよ。ねえ、マリユスさん、あなたあたしに約束したでしょう、何でも望み通りなものをやるって……。」
「ああ。だから言ってごらん。」
 彼女はマリユスの目の中をのぞき込んで、そうして言った。
「居所がわかったのよ。」
 マリユスは顔の色を変えた。身体中の血が心臓に集まってしまった。
「何の居所が?」
「あなたがあたしに頼んだ居所よ。」
 そして彼女は無理に元気を出したかのようなふうでつけ加えた。
「あの……わかってるでしょう。」
「ああ。」とマリユスは口ごもった。
「あのお嬢さんのよ。」
 そのお嬢さんという言葉を発して彼女は、深くため息をついた。
 マリユスは腰掛けていた欄干から飛び上がって、夢中になって彼女の手を執った。
「ああそうか。僕を連れてってくれ。知らしてくれ。何でも望みなものを言ってくれ。それはどこだよ?」
「あたしといっしょにいらっしゃい。」と彼女は答えた。「町も番地もよくは知らないのよ。ここのちょうど向こう側よ。でも家はよく知ってるから、連れてってあげるわ。」
 彼女は手を引っ込めた。そして次の言葉ははたで見る者の心を刺し通すだろうと思われるほどの調子で言ったが、喜びに夢中になってるマリユスには少しも感じ
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