彼は肉が少し残ってる骨をしゃぶり台所のテーブルの上にある一片のパンを食って晩飯をすました。そしてベンチの代わりに庭にころがした標石の上に腰掛けていた。
その石のベンチの近くには、昔の果樹園にはよくあるとおりに、角材と板とでできてもうごくいたんでる一種の大きな戸棚《とだな》みたいな小屋があって、下は兎《うさぎ》の巣になり、上は果物置き場になっていた。兎の巣には兎はいなかったが、果物置き場にはりんごが少しはいっていた。冬のたくわえの残りだった。
マブーフ氏は眼鏡をかけて二冊の書物を読み始めていた。その書物はいたく彼の興味をそそるもので、また彼ほどの老年ではいっそう重大なことであるが、彼の頭を支配してるものだった。彼の天性の臆病《おくびょう》さは、彼をある程度まで迷信に陥らしていた。二冊のうちの一つは、悪魔の変化について[#「悪魔の変化について」に傍点]というドランクル議長の有名な著述であって、も一つは、ヴォーヴェルの悪鬼とビエーヴルの妖鬼とに関して[#「ヴォーヴェルの悪鬼とビエーヴルの妖鬼とに関して」に傍点]というムュートル・ド・ラ・リュボーディエールの四折本であった。彼自身の庭が昔は妖鬼《ようき》の住んでた場所の一つだったということであるから、この第二の書物は彼にはいっそう興味が深かった。はや夕暮れの薄ら明りのため、高くにある物はほの白くなり低くにある物は黒くなりかけていた。書物を読みながら、また手の書物越しに、マブーフ老人は自分の植物をながめ、なかんずく彼の慰安の一つだったりっぱな一本の石楠《しゃくなげ》に目を止めた。暑気と風と晴天とが四日続いて一滴の雨も降らなかったあとなので、植物の茎は曲がり、蕾《つぼみ》はしおれ、葉はたれて、すべて水を欲しがっていた。石楠はことに哀れな様だった。マブーフ老人は植物にも魂があると思ってる人だった。彼は終日|藍畑《あいばたけ》で働いて疲れきっていたが、それでも立ち上がって、書物をベンチの上に置き、腰をまげよろめきながら井戸の所まで歩いて行った。そして井戸の鎖を手に取りはしたが、それをはずすだけ十分に引っ張る力はなかった。彼はふり返って、心配な目つきで空を見上げた。空には星がいっぱい出ていた。
その夕には、あるしめやかな永遠な喜びの下に人の悲しみを押さえつける清朗さがあった。が夜には、昼間と同じに乾燥したさまが見えていた。
「星
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