。庭園に修道院に建築材置き場に野菜畑、所々には低い家、それから人家と同じ高さの大きな壁。
前世紀におけるその一郭はまずそんなありさまだった。それが革命のために既にひどくそこなわれた。共和政府の市土木課のために、破壊され貫かれ穴をあけられた。塵芥《じんかい》貯蔵所まで設けられていた。そして今から三十年前には、新しい建物のために、その一郭はほとんど塗りつぶされてしまった。今日ではもうまったくその姿がなくなってしまっている。今日ではどの地図にもその跡さえ止めていない。しかしそのプティー・ピクプュスの一郭は、一七二七年の地図にはかなり明らかに示されていた。すなわち、パリーのプラートル街と向き合ったサン・ジャック街のドゥニー・ティエリー書店と、リオンのプリュダンスのメルシエール街のジャン・ジラン書店と、両方から発売せられた地図にはのっていた。プティー・ピクプュスの一郭のうちでわれわれが街路のY形と呼んだところのものは、シュマン・ヴェール・サン・タントアーヌ街の二つの枝からできていて、左の方のをピクプュス小路といい、右の方のをポロンソー街と言っていた。Yの二本の枝はその頂がいわば一つの棒で結ばれていた。その棒をドロア・ムュール街と言っていた。ポロンソー街はそこで終わっていたが、ピクプュス小路は先まで通じていて、ルノアール市場の方へ上っていた。セーヌ川からやってきて、ポロンソー街の端まで来ると、ドロア・ムュール街が左手に当たり、それが直角に折れ曲がってるので、その街路の壁がまっ正面に見え、右手には、その街路の一片が延びていて、そこは出口がなく、ジャンロー袋町と呼ばれていた。
ジャン・ヴァルジャンがいたのは、その所であった。
前に言ったとおり、ドロア・ムュール街とピクプュス小路との出会った角に見張りをしてる黒い人影を認めた時、彼はあとにさがった。何ら疑う余地はなかった。彼はその男から待ち伏せされていたのである。
どうしたらいいか?
もうあとに引き返すだけの時間はなかった。先刻後方遠く影の中に何か動くものが見えたのは、確かにジャヴェルとその手下の者であることは疑いなかった。ジャヴェルはもう既に、ジャン・ヴァルジャンが通りすぎたその街路の入り口にきてるに違いなかった。前後の事情から察してみると、ジャヴェルはその迷宮小路の地理をよく心得ていて、手下の一人を出口の見張りにつかわすだけの注意をとったものと見える。それらの推測は的確な形をとって、突然の風に一握りのほこりがまい上がるように、ジャン・ヴァルジャンの痛ましい脳裏ににわかに渦巻き上がった。彼はジャンロー袋町をのぞいてみた。そこは行き止まりになっている。彼はピクプュス小路をのぞいてみた。そこには見張りの男がいる。月の光に白く輝いてる舗道の上に黒く浮き出してるその忌まわしい姿を彼は見た。前に進めば、その男の手に落ちる。後ろに退けば、ジャヴェルの手中に身を投ずることになる。ジャン・ヴァルジャンは徐々にはさまってくる網のうちにとらえられてるような気がした。彼は絶望して天を仰いだ。
四 逃走の暗中模索
次のことをよく理解せんには、ドロア・ムュール街の正確な観念を得ておかなければならない、そして特に、ポロンソー街からドロア・ムュール街へはいってゆく左手の角《かど》をよく知っておかなければならない。ドロア・ムュールの小路は、ピクプュス小路に出るまで、右側にはほとんどすべて貧しい外見の人家が並んでいた。左側には何軒にも分かれてるいかめしい線の長屋が建っていて、ピクプュス小路に近づくに従って一階二階としだいに高くなっていた。それでその長屋は、ピクプュス小路の方ではきわめて高くなっていたが、ポロンソー街の方ではかなり低かった。そして前に言ったその角の所では、ただ一つの壁だけの高さにまで低まっていた。その壁はきっかり街路に接していなくて、ごく引っ込んだ一断面をなしていたので、ポロンソー街とドロア・ムュール街と両方から見る者があっても、その二つの角にさえぎられて見えないようになっていた。
その切り取られた断面の両方の角から出ると、ポロンソー街の方では、四十九番地という表札のある一軒の人家まで壁が続いており、ドロア・ムュール街の方では、壁はずっと短くて、前に言った薄暗い長屋の所まで行っていて、その切阿《きりづま》を切り取り、そうして街路にまた新たな引っ込んだ角をこしらえていた。その切阿は陰気なありさまをしていて、ただ一つの窓、なおよく言えばトタン板を被《き》せた二枚の雨戸きりついていないで、それも常にしめられていた。
われわれがここに描いてるこの場所のありさまは、厳密に正確であって、この一郭に昔住んだことのある者の頭には、必ずやごくはっきりした記憶を呼び起こすであろう。
壁の切り取られた断面は、その全部が一種の大きな見すぼらしい門みたいになっていた。それは縦に多くの板をよせ集めたぶかっこうなもので、上の方の板は下の方のものより広く、皆横に打ちつけた長い鉄の箍《たが》で止めてあった。その横の方に、普通の大きさの正門があって、こしらえられてから明らかに五十年とはたっていないらしかった。
一本の菩提樹《ぼだいじゅ》の木がその切り取られた壁の断面の上から枝をひろげており、またポロンソー街の方では壁の上に蔦《つた》がいっぱい絡《から》みついていた。
さし迫った危険のうちにあることを感じたジャン・ヴァルジャンは、その薄暗い長屋が何となく人気なくひっそりしているのに心ひかれた。彼は急にその長屋を見回した。もしその中にはいることができたらたぶん助かるだろうと思った。彼はまずそういう考えと希望とを得た。
ドロア・ムュール街に面するその建物の正面の中ほどには、鉛の古い漏斗形《ろうとがた》の鉢《はち》がどの階の窓にもついていた。そして中央の管から分かれてその鉢の各へ通じてる種々な管の枝が、建物の正面に木の枝のように浮き出ていた。そのたくさんの節を持った管の枝は、昔の農家の正面によじれからんでる刈り込まれた古いぶどうの蔓《つる》をまねたものであった。
ブリキや鉄などの枝のついたそのおかしな壁果樹が、最初にジャン・ヴァルジャンの目にとまった。彼はコゼットを車除石に背をもたしてすわらせ、黙っているように命じて、それから管が地面についてる所へ走っていった。たぶんそこから登って家の中にはいり込む方法があるだろうと思ったのである。しかし管は古くなっていて役に立たず、ほとんど壁から離れてぐらぐらになっていた。その上静まり返った建物の窓はどれも皆、屋根裏の窓でさえ、大きな鉄の格子《こうし》がはまっていた。それからまた、月の光はその正面にいっぱいさしていて、そこを乗り越えようとすれば、街路の端で見張りをしてる男に見付かる恐れがあった。それからまたコゼットをどうすればいいか? 四階の高さの家までどうして彼女を引き上げられよう。
彼は管についてよじのぼる考えをやめて、ポロンソー街の方へ戻るために壁に身を寄せてはってきた。
コゼットを残しておいた壁の断面の所まできた時、そこはだれからも見られないことに彼は気づいた。前に説明したとおり、そこはどちらから見ても見えないようになっていた。その上そこは影になっていた。そしてそこに二つの門があった。あるいはそれを押しあけられるかも知れなかった。壁の上から菩提樹《ぼだいじゅ》の木と蔦《つた》とが見えてるところをみると、中は明らかに庭になってるらしかった。樹木にはまだ葉は出ていなかったが、少なくともそこに身を隠して夜が明けるまで潜んでることができるかも知れなかった。
時は過ぎ去ってゆく。早くしなければならなかった。
彼は大門にさわってみた、そしてすぐに、その戸は内外両方からしめ切ってあることを知った。
彼はなお多くの希望をいだいて、も一つの大きな門に近づいていった。それは恐ろしく老い朽ちていて、大きいのでいっそう弱そうで、板は腐っており、三つしかない鉄の箍《たが》は錆《さ》びきっていた。その錆び朽ちた戸を押し破ることはできそうに思えた。
ところがよく見ると、それは実は門ではなかった。肱金《ひじがね》も蝶番《ちょうつがい》も錠前もまんなかの合わせ目もなかった。鉄の箍は一方から他方へ続けざまにうちつけてあった。板の裂け目から彼は、いい加減にセメントで固めた素石や切り石をのぞき見ることができた。今から十年前まではなお、そこを通る者はそれらのものを見ることができたのである。その戸みたいなものはただ壁の上につけられた木の覆《おお》いにすぎないことを、彼は狼狽《ろうばい》しながらも自ら認めざるを得なかった。板を引きはがすことは何でもなかったが、その先には更に壁があるのだった。
五 ガス燈にては不可能のこと
その時調子を取った重い響きが向こうに聞こえてきた。ジャン・ヴァルジャンはその街路のすみから少しのぞき出してみた。七、八人の兵士が列をなして、ポロンソー街に現われてきたところだった。銃剣の光るのが見えた。それが彼の方へやってきつつあった。
その兵士らはジャヴェルの高い姿を先に立てて、徐々に注意して進んできた。しばしば立ち止まった。明らかに彼らは、壁のすみや戸や路地の入り口などをしらべつつやって来るのだった。
それはジャヴェルが道で出会って助力を求めた巡邏《じゅんら》の兵士らであったろう。その推測はまちがいなかった。
ジャヴェルの手下の二人が、その列のうちに加わっていた。
彼らの歩調と時々立ち止まる時間とをはかってみると、ジャン・ヴァルジャンがいる所までやって来るには十五分ばかりはかかりそうだった。それは実に恐ろしい時間であった。三度口を開いた恐ろしい懸崖《けんがい》からジャン・ヴァルジャンはわずか十数分を距《へだ》てているのみだった。そしてこんどの徒刑場は単なる徒刑場のみではなく、コゼットをも永久に失うことであった。すなわち墳墓の中におけるような生活をしなければならなくなるのであった。
もはや逃げ道はただ一つきりしかなかった。
ジャン・ヴァルジャンはいわば二つの袋を持ってるとも言える特質をそなえていた。一つの袋には聖者の考えがはいっており、も一つの袋には囚徒の恐るべき才能がはいっていた。彼は場合に応じていずれかの袋を探るのであった。
種々の技能があったうちでも、特にツーロン徒刑場をしばしば脱走した経験から彼は、読者の記憶するとおり、登攀《とうはん》の妙技に長じていた。梯子《はしご》もなく、鎹《かすがい》もなく、ただ筋力だけで、首と肩と腰と膝《ひざ》とで身をささえて、石のわずかな突起につかまって、壁のまっすぐな角《かど》を、場合によっては七階くらいの高さまでもよじのぼることができた。二十年ばかり前、パリーのコンシエルジュリー監獄の中庭の壁のすみを囚徒バトモールが乗り越えて、その壁を有名になし恐ろしくなしたあの技能である。
ジャン・ヴァルジャンは菩提樹《ぼだいじゅ》の枝がさし出てる壁の高さを目分量で計った。約十八尺ばかりの高さだった。その壁が大きな長屋の建物の切阿《きりづま》と出会ってる角の所には、下の方に三角形の大きな築塀《ついべい》がついていた。おそらくその至って便利な引っ込んだ場所に、いわゆる通行人と称する用便人らを立たせないためのものであったらしい。そういうふうに壁のすみをふさいだものはパリーにいくらもあった。
その築塀は高さ五尺ばかりだった。その頂から壁の上までよじ上るべき場所は、十四尺に満たないほどだった。
壁の上には平たい石があるのみで、何の覆《おお》いもついていなかった。
ただ困まるのはコゼットだった。コゼットの方は壁を乗り越すことができなかった。では彼女を捨ててしまうか? ジャン・ヴァルジャンはそんなことは夢にも考えなかった。といって連れてのぼることは不可能だった。その異常な登攀《とうはん》をやるには自分一人で全力をつくさなければならなかった。少しの荷があっても、重力の中心を失って下に落ちるにきまっていた。
そこで一筋の
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