ちに一種の名状すべからざる震えが突然起こった。それは何人《なにびと》も生涯中に二、三度とは経験することのないものであって、内心の一種の痙攣《けいれん》と言おうか、心のうちの疑わしいすべてのものを揺り動かし、皮肉と喜悦と絶望より成るものであって、心内の哄笑《こうしょう》とも称し得べきものであった。
彼はまたにわかに蝋燭《ろうそく》をともした。
「で、それがどうしたというのだ!」と彼は自ら言った。「何に自分は恐れているのか? 何を自分はそんなに考えるのか? 私は助かったのだ。すべては済んだのだ。新しい自分の生涯に過去が闖入《ちんにゅう》してくる口は、わずか開いている一つの扉《とびら》があるきりだった。がその扉も今や閉ざされてしまった。永久に! 長く私の心を乱していたあのジャヴェル、私の素性をかぎ出したらしい、いや実際かぎ出していたるところ私の後をつけていたあの恐るべき本能、始終私につきまとっていたあの恐ろしい猟犬、彼ももはや道に迷いほかに行ってしまって、まったく私の足跡を見失ったのだ。その後彼は満足している。私を落ち着かせるだろう。彼は彼のジャン・ヴァルジャンを捕えているのだ! だれにわかるものか。彼さえもどうやらこの町を去りたがっている。そしてそれもみなひとりでにそうなったことで、私はそれに何の関《かかわ》りもないのだ。そうだ、それに何の不幸な事があろう。おそらく私を見る者は、私に非常な災いが起こったと思うかも知れない。が結局、何人《なにびと》かの上に災いがあるとしても、それは少しも私のせいではない。すべては天意によってなされたのだ。明らかに天はそれを欲したからだ。天の定めることを乱す権利が私にあろうか。今私は何を求めようとするのか。何に私は干渉しようとするのか。私に関係したことではないのだ。なに、私は満足でないと! しからば何が私に必要なのか。長い年月望んでいた目的、夜半の夢想、天へ祈っていた目的物、安全、私は今それを得たのだ。それを欲するのは神である。私は神の意志に反しては何事をもなすべきでない。そして神は何ゆえにそれを欲するのか? 私が初めたことを継続させんがため、私に善をなさせんがため、他日私をして偉大な奨励的実例となさんがため、私がなした悔悛《かいしゅん》と私が立ち戻った善行とにはついに多少の幸福が伴ったということを言い得んがためだ! 先刻、あの善良な司祭の所にはいってゆき、聴罪師に向かってするように彼にすべてを語り、そして彼の助言を求めようとした時、何ゆえに私はそれを恐れたのか実際自らわからない。彼はきっと私に同様なことを言ったはずだ。それは既に決定したことである。なるがままに任せるがいい。善良なる神の御手に任しておくがいい。」
彼は彼自身の深淵とも称し得べきものの上に身をかがめて、本心の底からかくのごとく自ら言った。彼は椅子《いす》から身を起こした、そして室のうちを歩き初めた。「もうそれにこだわるまい。決心は定まっているのだ!」と彼は言った。しかし彼は何らの喜びをも感じなかった。
いや、まったく反対であった。
人の思想がある観念の方へ立ち戻るのを止めることができないのは、あたかも海が浜辺に寄せ返すのを止めることができないと同じである。船乗りにとってそれを潮という。罪人にとってはそれを悔恨という。神は海洋を持ち上げると同じくまた人の魂をも持ち上げる。
間もなく彼はまた、いかに自ら制しても暗澹《あんたん》たる対話を初めざるを得なかった。その対話においては、話す者も彼自身であり聞く者も彼自身であり、語るところは彼が黙せんと欲していたことであり、聞くところは彼が聞くを欲しなかったことだった。二千年前の刑人([#ここから割り注]訳者注 キリスト[#ここで割り注終わり])に向かっては「進め!」と言ったごとく今彼に向かっては「考えよ!」というある神秘なる力に、彼は駆られたのであった。
これ以上筆を進める前に、そしてすべてを十分明らかにせんがために、ここに一つの必要な注意をつけ加えておこう。
人間は確かに自分自身に向かって話しかけることがある。思考する生物たる人間にしてそれを経験しなかった者は一人もあるまい。言語なるものは、人の内部において思想より本心へ本心より思想へと往復する時ほど、荘厳なる神秘さを取ることはない。本章においてしばしば用いらるる彼は言った[#「彼は言った」に傍点]または彼は叫んだ[#「彼は叫んだ」に傍点]という言葉は、ただかかる意味においてのみ理解されなければならない。人は外部の沈黙を破らずして、自己のうちにおいて言い、語り、叫ぶものである。そこに非常な喧噪《けんそう》がある。口を除いてすべてのものがわれわれのうちにおいて語る。魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって、現実でないという理由にはならない。
かくて彼は自分がどこにいるかを自ら尋ねた。彼はあの「既になされた決心」なるものについて自ら問いただした。頭のうちで自ら処置したところのものは奇怪なことであり、「なるがままに任せるがいい、善良なる神の御手に任しておくがいい」ということはただただ恐ろしいことであると、彼は自ら認めた。運命と人間との誤謬《ごびゅう》をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣《ろうれつ》なる偽善の最後の段階ではないか。それは賤《いや》しい卑怯《ひきょう》な陰険な唾棄《だき》すべきまた嫌悪《けんお》すべき罪悪ではないか!
八年このかた初めて、不幸なる彼は、悪念と悪事との苦《にが》い味を感じたのである。
彼は胸を悪くしてそれをまた吐き出した。
彼はなお続けて自ら問いかけた。「目的は達せられたのだ!」という言葉の意味を、自らきびしく尋ねてみた。自分の生活は果して一つの目的を持っていたということを彼は自ら公言した。しかしながら、それはいかなる目的であったか。名前を隠すことか。警察を欺くことか。彼がなしたすべてのことは、そんな小さなことのためだったのか。本当に偉大であり真実である他の目的を彼は持たなかったのか。自分の身をでなく自分の魂を救うこと。正直と善良とに立ち戻ること。正しき人となること! 彼が常に欲していたことは、あの司教が彼に命じたことは、特に、いや単に、そこにあるのではなかったか。「汝の過去に扉《とびら》を閉ざせよ!」しかし彼はその扉を閉ざさなかった。卑劣なる行ないをしながらそれを再び開いた。彼は盗人と、最も賤《いや》しい盗人と再びなろうとした。他人からその存在と生活と平和と太陽に浴する地位とを奪おうとした。彼は殺害者となろうとした。一人のあわれなる男を殺そうとした、精神的に殺そうとした。その男にあの恐るべき生きながらの死を、徒刑場と称する大空の下の死を与えんとした。しかしこれに反して、身を投げ出し、その痛ましい誤謬《ごびゅう》に陥れられた男を救い、自分の名をあかし、義務として再び囚人ジャン・ヴァルジャンとなったならば、それこそ、真に自分の復活の道であり、のがれ出た地獄に永久に戸をとざす道ではなかったか! 外観上その地獄に再び落つることは、実際において、そこから脱することであった。それをなさなければならない! それをしもなさなければ、何をもなさないのと同じである。彼の全生涯は無益なものとなり、彼のあらゆる悔悛《かいしゅん》は失われ、ただ「何の役に立とうぞ?」と言うのほかはなかったであろう。彼はあの司教がそこにいるように感じた。司教の姿は死んでますますはっきり目に見えてきた。司教は彼をじっと見つめていた。今後市長マドレーヌ氏は、そのいかなる徳をもってしても司教の目には忌むべきものと映ずるであろう。そして囚徒ジャン・ヴァルジャンは司教の前には尊敬すべき純潔なる姿となるであろう。世人は彼の仮面を見る、しかし司教は彼の素顔《すがお》をながめる。世人は彼の生活を見るが、司教は彼の本心を見ている。それゆえ、アラスへ行き、偽りのジャン・ヴァルジャンを救い、真のジャン・ヴァルジャンを告発しなければならない。ああそれこそ、最大の犠牲であり、最も痛切なる勝利であり、なすべき最後の一歩であった。それをなさなければならなかった。悲痛なる運命よ! 人の目には汚辱なるもののうちに戻る時、その時初めて彼は、神の目には聖なるもののうちにはいるであろう。
「よろしい、」と彼は言った、「これを決行しよう。義務を果そう。あの男を助けてやろう!」
彼は自ら気づかずしてその言葉を声高に叫んだ。
彼は書類を取って、それを調べ、それを秩序よく並べた。困窮な小売商人らから取っていた借用証書の一束を火中に投じた。手紙を一つしたためて封をした。そのとき室にだれかいたならば、その人は、「パリー[#「パリー」に傍点]、アルトア街[#「アルトア街」に傍点]、銀行主ラフィット殿[#「銀行主ラフィット殿」に傍点]」という文字をその封筒の上に読み得たであろう。
彼は机から紙入れを取り出した。その中には紙幣や、その年彼が選挙に行くおりに使った通行券などがはいっていた。
重大なる考慮をめぐらしながら彼がそれらの種々のことをやっているところを見た者があったとしても、その人は彼の心のうちに起こっていることを察することはできなかったであろう。彼はただ時々その脣《くちびる》が震えるのみであった。またある時は、頭をあげて壁の一点をじっと見つめていた。そこには彼が何か見きわめまたは尋ねかけんと欲してる物があるかのようだった。
ラフィット氏へあてた手紙を書き終えると、彼は紙入れとともにそれをポケットに入れ、そしてまた歩き初めた。
彼の瞑想《めいそう》は少しもその方向を変じていなかった。彼は光り輝く文字に書かれた自分の義務をなお明らかに見ていた。その文字は彼の眼前に炎と燃え、視線を移すごとについて回った。「行け[#「行け」に傍点]! 汝の名を名乗れ[#「汝の名を名乗れ」に傍点]! 自首して出よ[#「自首して出よ」に傍点]!」
彼はまた、これまで彼の生活の二つの規則となっていた二つの観念を、あたかもそれが目に見える形となって眼前に動き出したかのようにじっと見つめた。汝の名前を隠せよ! 汝の魂を聖《きよ》めよ! それらの二つは初めて全然別になって見えてきた。そしてその二つが互いにへだたっている距離を彼は見た。その一つは必ずや善《よ》きものであり、も一つは悪きものともなり得るものであることを、彼は認めた。一は献身であり、他は自己中心である。一は隣人[#「隣人」に傍点]を口にし、他は自己[#「自己」に傍点]を口にする。一は光明からきたり、他は暗黒から来ると。
その二つは互いに争っていた。彼はその二つが相争うのを見た。彼が黙想するに従って、その二つは彼の心眼の前に大きくなってゆき、今では巨人のごとき姿となっていた。そして彼自身のうちにおいて、先ほど述べたあの無限のうちにおいて、暗黒と光明との間に、神と巨人との争うのを彼は見るように思った。
彼は恐怖に満たされた。しかし善の考えが勝利を得るように見えた。
彼は新たに自分の本心と運命との決定的時期に遭遇しているように感じた。司教は彼の新生涯の第一期を画し、あのシャンマティユーはその第二期を画しているように感じた。大危機の後に大試練がきたのである。
そのうちにまた一時しずまっていた熱はしだいに襲ってきた。無数の考えが彼の脳裏を過ぎた。しかしそれはただ彼の決心をますます強固にするのみだった。
ある瞬間には彼は自ら言った。「私はあまり事件を大袈裟《おおげさ》に考えすぎているのかも知れない。結局そのシャンマティユーなる者は大した者ではない。要するに彼は盗みをしたのだ。」
彼は自ら答えた。「その男が果して林檎《りんご》をいくらか盗んだとしても、一カ月の監禁くらいのものだ。徒刑場にはいるのとはずいぶん差がある。そして彼が盗んだということもわかったものではない。証拠があったのか。ジャ
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