ィドローがきらいだ。彼は観念論者で、壮語家で、革命家で、それで内心神を信じてい、そしてヴォルテール以上に頑迷《がんめい》である。ヴォルテールはニードハムを嘲《あざけ》ったが、それは誤りだ。何となればニードハムの針鰻《はりうなぎ》は神の無用を証明するのだから。一|匙《さじ》の捏粉《こねこ》のうちに酢の一滴をたらせば、それがすなわち|光あれ《フィア・リュクス》である。かりにその一滴をいっそう大きくし、その一匙をいっそう大きくしてみれば、すなわち世界となる。そして人間はすなわち針鰻である。しからば永久の父なる神も何の役に立とう! 司教さん、エホバの仮説には私はもうあきあきする。そういう仮説はただ、がらん洞《どう》のやせこけた人間を作るに役立つばかりだ。予をわずらわすこの大なる全《ぜん》を仆《たお》せ、予を安静ならしむるかの無《む》なるかな、である。ここきりの話だが底をわって言えば、そして私の牧人《ひつじかい》なる君に至当なる懺悔《ざんげ》をすれば、私は正当なる理性を有するのである。口を開けば常に解脱と犠牲とを説く君のイエスに私は熱中することができない。それは乞食《こじき》に対する吝嗇家《りん
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